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那覇空港からJALシティホテル那覇へ 沖縄旅行2

那覇空港に降りる直前、自衛隊の哨戒機の倉庫と洗機(?)中の
哨戒機が見えた。
海上を哨戒する哨戒機は着陸後必ず洗浄するとは聞いていたが
実見すると改めて納得する。

こういうことを話すと「わかりきっていることをわざわざ話すな」
と言う人がいるが、自分で理解するのと、うわべだけで理解したつもり
との違いを確認するのは大切なことだと思う。

国際空港でもあるのか、荷物を受け取り、
空港構内を「ゆいレール」に乗るため歩き始める。
どこか他の東アジアの空港にいるような感覚を覚える。
土地のニオイも本土とは違う。

気温も明らかに東京より高い。おそらくコートは不要だろう。

空港から歩道橋を経て接続している「ゆいレール」那覇空港駅へと向かう。

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客待ちの運転手らは上着脱ぎ

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沖縄へ

勤務先の有休消化策の一環で休暇を取得することとなった。
そこで二千円札普及運動を行っていることから、沖縄へ出かけることとなった。
山旅の関係であちこちに出かけているマスターだが、
沖縄は全くの初訪問である。

早朝、いつもの電車に乗る。勤務先とは別方向に向かい羽田空港へ。
これまた久しぶりの飛行機。
待ち合わせロビーに行くと、修学旅行の高校生たちと一緒になる。
今は関西で無く沖縄に行くのかと感心する。
搭乗には段ボール製の搭乗券ではなく、旅行会社で発行してもらった
タリフと呼ばれる日程表の片隅に印刷されている二次元バーコードをかざすだけ。
不慣れなマスターは早速ここで引っかかる。
(後にこの二次元バーコードにはさんざん世話になる)
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国内とはいえ、三時間近い空の旅。ソウルに出かけるより
飛行時間は長い。天候は曇り空。

窓際ではないので(窓際でも雲上なので下は何も見えない)
ガイドブックを見直したりする。

やがて機内アナウンスが那覇到着を現地天候・気温と共に伝える。
いよいよ初めての沖縄である。
空から那覇市街が見下ろす。
改めて港町として始まったことに気が付く。

春雲を抜けて降りるや那覇港

※このシリーズは長くなりそうです。
 のんびりおつきあいください。
 勿論、平常記事も続けます。

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クルマの調子がおかしい

久しぶりに仙台に帰る時に車を利用した。
土曜日の早朝、拙宅を出発。高速に入ると今一つ調子がおかしい。
トラックを追い抜くのにアクセルをベタ踏みしても110キロ程度しか出ないのである。
これでは高速をスムーズに走れない。後続車には邪魔者扱いされること必定。
今の車はコンピュータ制御なので、しばらく運転しなかったのでどこか
プログラムのエラーが生じたのか不審に思う。しかし計器類は異常を示さない。
なんとかだましだまし転がしているうちに、某SAを出発時にとうとう
「パワステが故障しています。ディーラーに見てもらってください。」との
表示がでた。
ためしにエンジンを回しハンドルに触るが、パワーは全く効かない。
だましだましで付属のガソリンスタンドに車を動かす。
もちろんこのレベルではスタンドでは対応できず、JAFを呼ぶ。
レッカー車で近くのディーラーに持ち込むそうだ。
待つこと30分JAFのレッカー車が来た。JAFを呼ぶのは加入以来初めてである。
運転手は「もしかして」と運転席の下にあるヒューズを点検するが異常はない。
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こんなところにヒューズがあるのは初めて知った。
この車になってから山歩きはご無沙汰だが、雨や雪で泥まみれになった
登山靴で乗り込んではいけない。また以前の車のようにゴム製のマットを敷かないといけない。
相変わらず警告ランプはついているのでレッカー車に乗せる。
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幸いディーラーは次のインターを降りてすぐ左側にあった。
事前連絡をしておりすぐにチェック。

一時間ほど待った後に報告。
「エンジンが冷えたせいかパワステも治った。トラブル部分を調べたが
異常はない。試走もしてみた。仙台までは大丈夫だと思うが
東京に帰宅後近くのディーラーで見てください。」という結果。

不思議なことにそこから仙台まではいつも以上の調子の良さで走る。
仙台着は予定より二時間遅れてしまった。週末故代車の手配もできなかったので
クルマが動いたのはよかったが、被災地見学も一か所カットしないといけなくなった。

翌日もやはり少し違和感があった。これも走っているうちに解消はした。
クルマに毎日乗ることはないので、さっそく近くのディーラーに調査依頼中である。
結果がでたらまた報告する。

汗をかき故障車動かすみちのく路

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父の三回忌で栗駒市へ

はやくも父の三回忌(つまり東日本大震災から丸二年)を迎えた。
勤め先を早引きして上野駅へ向かう。
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仙台で意外と数分間停車する。
大駅で数十分停まった昔日の鈍行列車を思い出す。
今回仙台は帰りに立ち寄る予定で、父の故郷へ直行。
仙台から北へ二つ目のくりこま高原駅に降りる。
意外と降車客が多いので驚く。相変わらずの田んぼの中の駅だが。

予約していた駅側の「ホテルエポカ21」にとりあえずチェックイン後、
迎えにきた大叔父の車で大叔父宅へ
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家では奥様の手料理が振る舞われた。
最近マスターは節酒をしており結構飲んだつもりでも
缶ビール二本程度であり、驚いた。

大叔父とは明日の三回忌予定の再確認、父や震災の思い出話、
親族の動向など興味の赴くままに話をした。
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大叔父の愛猫メリーちゃんも元気な姿を見せてくれた。
大叔父が与える刺身を嬉しそうに食べていた。
(大叔母からはメリーちゃんには栄養多過なので食べさせないように
言われているそうだ。)

大叔父の賀来千賀子似の娘さんの運転でホテルに戻る。
翌朝は予報以上の雪、そして強風だった。
この悪天がその後の予定に影響を与えるとは。

ホテルの窓からくりこま高原駅を望んでいます。
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栗駒の風雪厳し三回忌

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玉置神社

神社の表に回る。
この風雨のなかでも拝殿にあがり、お祓いをしている
熱心な人たちがいた。
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この日は五月一日で、休みでない会社も多かろうに。

この神域は雨量が多いのだろうか、どうやらいつもじめじめして
いるようだ。降雨地帯である。

正面斜め前から撮影する。
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きらびやかさはない。でも幽玄さを感じるたたずまいである。
マスターは縦走して、いよいよ標高1000メートル地帯を
この神社から抜け出すのだが、
神社だけ訪れた人たちは「1000メートルの高所」までたどりつくと感じる。
山歩きをしていると、このギャップに戸惑うことがよくある。

神域中に奥駈道の標識があり迷わず、神域を抜けルートへ戻る。
相変わらずの雨天だが、予定通り進みそうだ。

本日もスコールの予報気象変わる

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大峰・海南・高野山・京都・同行何人?その6

雨天のなか、玉置神社境内に到着。
本殿の裏側だが、社務所が開いておりお守りや土産物を売っている。
大きな宿泊所は閉まったままである。
今は予約者しか泊めないようなので、他の場所に泊めているのだろうか。
この神社までは車道が通じており、
かっての様な修行者の休息所の役割は無くなったのだろう。

本殿の裏側に御神酒が置いてあった。
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志を置いて一口飲む。4日ぶりの酒である。
まずい。
まるで飲酒を許されたころ口にした日本酒の味である。
口中にドロドロ感が残る。

この銘柄がまずいのではないだろう。
アルコールが抜けてカラダが飲酒開始当時の状況に戻ったのだろう。

当時はビールは苦く、ウイスキーは薬臭く、日本酒はドロドロ。
(マスターの飲酒開始当時はチューハイはほとんど飲まれてなかった。
それがわずか一年ほどで居酒屋を席捲するとは。)
その頃の感覚をこれから大切にして酒と付き合おう。

春嵐惑いつ呑めり苦き酒


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大峰・海南・高野山・京都・同行何人?その1

ようやく両親死去と震災の後始末が一段落したので、
連休は休みをとり、久しぶりに登山と旅行に行くことにした。

4月27日夜。上野駅に登山ザックを担いで出かける。
夜行急行はすでになく、夜行バスを予約。
発車時間までの一時間を、駅近くの回転寿司屋で夕食をとる。
これからは酒の無い数日間を過ごす。日本酒三合を開ける。
店の親父さんは「帰ってきたらまた立ち寄ってください。」と声をかけてくれた。
すでに晩酌を廃止しているので、五臓六腑に酒が染み渡る。
22時すぎに名古屋行きバスは発車。車内は帰省の学生たちが主体である。
オジサンはマスター位。

翌朝、名古屋駅前に到着。
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近鉄名古屋駅から近鉄特急にのり大和八木駅へ向かう。
天候ははれ、今日は昼過ぎまで電車とバス。そのあとは日没まで歩きの予定。


大和八木駅から奈良交通のバスに乗り、前回の下山口前鬼口へと向かう。
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八木駅出発時は登山者は2名ほどだったが、途中駅から乗り込んできて
バスの乗り換え駅「湯盛温泉杉の湯」ではほとんどをしめるようになった。
乗換駅でトイレを済ませる。

12時過ぎに前鬼口に到着。
かっては地元タクシーを予約すれば前鬼宿坊近くまで送ってくれたそうだが、
今回電話すると「休業中」とのことで、仕方なく歩きはじめる。
ダム湖を右に見ながら、15時過ぎに前鬼宿坊着。大休止。

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バスから一緒になった行者さんが、小堂の前でさっそくほら貝を吹く。
行者さんは二人組で、もう一人の従者役の人は普通の登山姿・装備である。
以降、玉置神社付近までこの二人と行動を共にする。

日が長く、天候急変の心配もないので、稜線まで登ることにする。
18時過ぎ、太古の辻に到着。水は担いできたし
鞍部だが、今日は全く風がないので、ここにテントを張る。
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日が暮れると鹿の鳴き声が周辺を覆い尽くした。

五年ぶり太古の辻に鹿を追う



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河口湖にあそぶ2

Uターンをする。
右側に鵜の島という小さな島が見える。
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こんな山中の湖で島があるなんて不思議である。
湖面では鴨をはじめとした水鳥が優雅に泳いでいる。
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たいして人が歩いていないので、
湖畔を愛でながら歩道上に敷物をしき
いつものカップ麺と缶ビール宴会。久々の再会に話も弾む。

その後露天風呂天水に立ち寄った後保養所へ。
例年と同じ管理人さんが迎えてくれる。

毎年続く小さな旅行。いつまで続くかわからぬが
皆元気でいてほしい。

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保養所で夕食前、今日写した画像のチェックのほか
一人がファンだという今井美樹の映像に見入っている。
(今のビデオカメラは何でもできるのでびっくり)

当たり前それが身に染む3・11以降

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河口湖に遊ぶ

毎年恒例、以前所属していた部署のお得意先との山中湖一泊親睦会。
こうやって10年以上前の担当者に今でも声をかけてくれるとは
サラリーマンとしては嬉しい限り。

ことしは趣を変えて、河口湖へ向かった。
河口湖に遊ぶのは中学校の修学旅行以来である。

湖畔の「道の駅かつやま」にクルマを置く。
湖に降りると河口湖畔水田発祥の記念碑がある。
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今でこそきれいに整備された芝原だが、
戦後の食糧不足時代にはこの湖畔でも稲が栽培されていた。
すでに観光客で一杯になっていたであろう1970年まで
水田は存在したそうだ。

芝原から湖岸遊歩道を歩く。
今度は「愛の鐘」と谷崎潤一郎の碑である。
鐘をならせば愛が成就するそうだ。
「成就」している人はさらに円満になるそうだ。

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谷崎碑は「細雪」の一文を彫ってある。
マスター高校時代に細雪を手に取ったが
あまりの分厚さに「受験勉強の邪魔」と思い読むのをやめた。
今は「仕事の邪魔」である。ということはおそらく読まないだろう。
もっともマスターの高校の同級生(有名声優の息子)は
「細雪」をその頃すでに読破してたそうである。おそるべし。

さらに歩くと今度は田中冬二の詩碑にぶつかる。
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谷崎も田中も河口湖にゆかりがあるらしい。
碑に刻まれているのは河口湖を描写している文章である。


もう少し先のシッコゴ公園まで足を伸ばす予定だったが、
メンバー最年長にして行動計画を立てた方が
「歩き疲れた。この辺で戻りましょう。」と宣言。
往路をクルマまで戻ることにする。(続く)

青き稲揺れしを見たし河口湖

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仙台・光のページェント

20年位前までは、病院では正月に帰れない入院患者のために
親族がベットのそばで新年を迎えるのを黙認していた。


今は看護制度の充実という建前のためにそれらは禁止された。
父は「あのころの方が『親切』だった。」と懐かしむ。

大晦日は夕方の面会時間ぎりぎりまで夫婦で父の病室にいた。
紅白歌合戦を聞きながら父の車を運転して生家に戻る。
「光のページェント」の最終日でありもうすぐ消灯時間である。

クルマを定禅寺通りに向かわせる。
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信号待ち時間に携帯にて撮影。

この時間なのにクルマは渋滞。
仙台人なら排気ガスで嫌がるグリーンベルトの歩道は
ページェント閉幕を惜しむ観光客がそぞろ歩きを楽しんでいる。

この催しはマスター上京後に始まったので
見るのは今回が初めてである。
帰郷しない年もあるし、ページェントが開かれていても
夜間は中心部に出ないときがほとんどだからだ。

知人でこれを見るために仙台に家族旅行をした人がいる。
今回初めてみてそれもむべなるかなと思った。

父が病床に臥さなければ、見ることはできなかっただろう。

12月初旬の発症までは
父は年末は市内のホテルで過ごし、
マスター夫婦は千葉か山梨の田舎の鉱泉場で
のんびりと過ごすつもりだった。

早寝の父の病室はもう暗くなっているだろう。

華やかな光を見つつ年暮れる


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