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二千円札の利用を呼びかけています。画像欠落記事はコメント・  メールにて遠慮なく連絡ください。気付き次第復旧致します。

仙台育英会寮友会(五城寮創立100周年記念)開催のご案内

各位
お世話様です。
拙ブログに「五城寮」でアクセスされる方がいらっしゃいます。
以下は10月に開かれる寮友会のお知らせですが
もし、連絡が行ってない寮友(廃寮後の奨学生時代の方も含む)
のために掲示します。
また、五城寮関係者がお近くにいらっしゃる方は
是非、その方にご一報願います。

以下、告知です。

仙台育英会寮友会(五城寮創立100周年記念)開催のご案内
10月17日(土) 14時~17時以降
14時   大井公園の五城寮跡地に集合。写真撮影。
15時   大井町の品川区立総合区民会館にて 全国・東京総会開催
17時より 大井町駅東口「広州厨房」にて懇親会


詳しい日程は
八巻 優悦 さん
04-7103-4779
yuetsu.yamaki(アット)ac.auone-net.jp
へ連絡・確認願います。
※@マークを使うと迷惑メールにメルアドが収集される可能性があります。
送付時には(アット)を@に置き換えてください。

また、総会にあわせて戦前の巣鴨時代の資料・写真の発見、
所在地の特定もなされ、発表される予定です。
勿論大井町時代の写真なども発表されますので皆様是非お越しください。

サワリだけでもアップします。
まずは巣鴨の写真。
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これは服装・女性の髪形などから創立間もない大正時代でしょうか。

次に昭和29年の大井町の国鉄跨線橋です。
S291.jpg

現在の半分程度の幅で驚きました。
戦前型のトラック・オート三輪・戦後型の乗用車が
仲良く列をなして通過しています。

懐かしき友と交わさん新走

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だれか知らないか「昭和39年オリンピックまで」という歌

オリンピックが再び東京で開催するのはまずはめでたい限りです。
さて、今を去る半世紀前も日本中はオリンピックブームに湧いていました。
私(この記事はfacebookにも出しているのでこう呼ぶ)の通う幼稚園でも
確か秋の運動会の時に、私のいる年少組はオリンピック関連の歌を歌いながら
両手に日の丸の旗を持ってそれを振りながら、円陣を歩き回るという
遊戯をしました。

その時に使われた曲名・歌手を知りたいのです。
当時4歳故、歌詞の意味は分からず
最後の♪「昭和39年オリンピックまで」♪というフレーズしか
覚えていません。歌手は元気のある男性歌手でした。

今は何でも動画サイトに掲載されていますが、この歌詞で
調べてもヒットしません。

幼稚園の遊戯に使用されたのですからそれなりに
人口に膾炙しているとは思うのですが、
現在50代半ば以上の方。覚えていませんでしょうか。
覚えている方はご一報願います。

ちなみに「日の丸を振って円陣を歩く」
写真は残っているのでアップします。

P1000209.jpg

還暦に二度目の五輪や何してる

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母の一周忌

早いもので母が亡くなってから一年が経った。

一周忌を執り行うことにした。
昨年葬儀を行った寺に親戚が集まる。
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やがて昨年と同じ僧侶がやってきて、墓前で読経をする。
看取ったぬいぐるみたちも参加した。
09180003_20100920101714.jpg
読経のあとは、これまた昨年と同じ場所で一周忌の法要。
列席者は昨年より絞った。
マスター夫妻以外は叔父・叔母達のみ。
昨年の半数である。
料理も簡素にした。「白ぶかし」ではなく普通の白飯である。
よって写真はなし。
昨年は中ほどで会場を後にした僧侶は、今回は最後まで居てくださった。
マスターも残す(もちろん持ち帰る)ほどの分量なのに、
僧侶は80代後半なのに全量平らげる健啖ぶりを見せて
列席者を驚かせる。
今回はマスターはクルマを運転したので「偽ビール」で我慢。
09180005_20100920101713.jpg
昨年同様、会場にぬいぐるみが飾られていた。
少し位置の入れ替えがあるようだ。
法要終了後、大叔父の家に立ち寄る。
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メリーちゃんは元気だった。
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連れ合いの足元でおとなしく座っていた。

花飾る地蔵を包む秋の空

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大学入試の勉強の仕方を知らなかった科目

続いての反省談。
これは数学です。
文系ですが、国立大学入試には当時必須でした。
ところがマスターは算数の時代から数学が苦手でした。
今思うと、家庭内で数値を用いて考える・表現することが
少なかったためだと思います。

その後、仕事をするようになり、また勤務先の
多くの理学・工学系の同僚と接して語るにおよび、
あの程度の「数学」が不得意だったのは全く情けなく悔やまれます。

実は文系入試の数学程度ならば、参考書(教科書ではやはりダメ)を
書写するだけでもかなり「理解」できるのです。

大学入学後、学生寮にいた先輩からその事を教わり
大変残念に思いました。どうしてそんな事に気付かなかったのか、
当時から思いました。

古典や漢文ではマスターも同じ方法をとって、それなりのスコアをあげていたのです。
数学もテクニックと割り切らずに、真面目に「新しい方法」を考えていたのでしょう。

不可思議なこともあるなり戻り寒

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マスターは欧米人に間違われる5

10数年前、夏休みを利用して南アルプス南部を縦走した時である。
聖岳直下の聖平(イメージは拾ってきました)で荷を置き休息していた。

聖平

後から中年の単独行の登山者が声を掛けてきた。
先ほどまでの炎天から打って変わって、霧が掛かり始めたので
聖岳への登山道を確認したかったようだ。

それまで炎天下だったので、サングラスを掛けたままのマスターは
振り向いて登山道の説明をした。

するとその登山者はいきなり英語交じりで
「おー。ピーク。ワンアウワ。サンキュー。」と言って立ち去った。

一人残されたマスターはしばらく考えた。
そうか。あのオジサンはマスターをガイジンと思って
カタコト英語を話したのだろう。
サングラス姿だと、目が隠れ鼻の高さが目立つので余計
欧米人に見えるのは以前から気が付いていた。

あのオジサン。
下山してから周囲に
「さすが南アルプス。ガイジンさんも登っていたよ。」と
話したのではないだろうか。

天皇(すめろぎ)は代われど忘れじ敗戦忌

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マスターは欧米人に間違われる1

マスターは幼年時代からよく欧米系の外国人に間違えられる。
鼻筋が通っていて、二重瞼、目が大きいなど、
バタ臭い顔立ちから来るためだろう。

中学校時代、ある先生が「マスターはドイツ人のハーフだ。」という
噂を流して、否定に躍起になったことがある。

勿論マスターは日本人であり、帰化人ではない。ご承知願う。

始めは生地に外国人が少ないので、勝手なイメージで言っているものだと
理解していた。

しかし、上京後さらに「外国」に実際に出かけてまでも、
「日本人」と見られないことが何度か起こった。

この夏休み「思い出話」に付き合っていただければ幸いである。

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小学校(母校)が建て直された

介護帰省の時、買い物に出かける。
徒歩数分の小学校の前を通ると「新校舎」が取り壊されている最中だった。
マスターが入学時は古い校舎は大正時代からあった木造校舎が、
入学直後から取り壊しが始まり、卒業時に全部鉄筋コンクリートつくりの
「新校舎」に変わった。同世代には同じ経験をされた方も多いだろう。
その「新校舎」が40年の時を経て「耐震構造に不適」との診断を受けて
全面取り壊しの憂き目となった。
右側に写る安アパートも同時期に立てられたが何とか健在なのをみると
感慨を覚える。

06210001.jpg

正面に回る。重機が八割がた校舎を壊し瓦礫の山となっている。
判りきったこととはいえ、なんとも空しい光景である。

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西側には洒落ているが、小ぶりの「新校舎」がすでに建設されている。
少子化ゆえ、この程度の建物で良いのだろう。
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これでマスターが通った学校で、通学当時のままの校舎を使用しているのは
大学だけになってしまった。

学び舎の変転驚く梅雨の朝



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恩師と父の繋がり

過去記事で触れていることに補足しよう。

マスターが亡き先生の研究室に入室を許されることになった頃の話。
研究室の片面を占めている本棚の一角に先生の専攻とはやや違う
ジャンルの書籍が占めてあった。
それらの書籍群は、実は父の本棚の一角を占めている書籍と
重なっているのが多かった。
マスターは「先生はもしかしたら海軍兵学校のご出身では。」と尋ねると、
先生は莞爾として「ああ。そうですがよくわかりましたね。」と答えられる。
マスターは「実は私の父も海軍兵学校に在学したことがあります。
今、先生の本棚を拝見したところ父の本棚にあるのと同じ本が
並んでいるコーナーを見つけたので、思わず尋ねました。」と話した。
その後の話だと、先生はより一期後の入学である。
戦時中のことで、入学も一年間に二回以上あり、実際の時間的差は
半年も無かったのではないだろうか。

後に先生のお宅に皆で伺ったとき、海軍兵学校時代のポートレートを
見せていただいた。父のと同じポーズ、色調である。
おそらく生徒全員が入学後一定期間後に撮影されたのであろう。
現在某大学教授の当時院生の方が「暗い時代の青春だったな。」と呟いた。

海兵入学の件は葬儀の場でもチャプレンは触れられた。
「戦中・戦後の価値観の変化が先生を経済史の路へ進ませたのでは。」と。

そういうわけで、先生は確か用事で仙台に来られたとき、
父に会っているはずである。もしかしたら逆で父が上京したときかもしれない。
マスターは「教え子」のせいか年賀状は久しく前から絶えていたが、
父には(たぶん先生が倒れる頃)二年前位まで賀状が来ていたそうである。

イメージは父と先生の本棚に
共通してあった本の一つ「軍艦長門の生涯」(阿川弘之著)です。
長門


冬ざれや雲の果てなり我が想い

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飲み友達 夢枕に立つ

数日前の睡眠中。
マスターが10年前に通っていた居酒屋の飲み友達が夢枕に立った。
夢の中でマスターは
「そばに妻が寝ているので、起こさないでください。」と静かに言うと、
彼は微笑んで姿を消した。

どうにも気になるので、その居酒屋に久しぶりに電話をかけた。
相変わらず盛業中で、客のざわめきが受話器からも聞こえる。
ママさんに不義理の挨拶もそこそこに、その話をした。
ママさんは一瞬絶句。 しばらく経ち、
「マスターさん。貴方が寝ていた同じ日に、私も『あの人元気かしら』と
それまで全然思い浮かべなかったのに突然思い浮かべたのよ。
でも、当時を知っているお客さんはその時いなくて、話をしなかったの。」
と言うのではないか。

聞けば、マスターがその居酒屋のある街を離れてから、
その飲み友達は病を得て帰郷されたそうだ。
帰郷先の電話番号も伝えなかったそうである。

人が亡くなるとき、それまで世話になった人たちに「お礼参り」をするという。
その飲み友達に異変が起こっていなければと願うのみである。

次々と雪便り来る猫眠る


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恩師と牛タン屋での思い出

過去記事での「お清め」の時、
卒業後の先生との関わりが話題となった。
「海外赴任地にどう調べたのか電話が掛かって来て『今、すぐそばにいるから
一緒に昼食でも食べないか。』と言われた。」という人が二名ほどいた。

マスターは海外勤務など(国内の転勤もなし)ないので、
その場では何も話さなかったが、思い出したことがある。

まだセールスをしていた頃、夜池袋で仕事が終わった。
都心の勤務先に帰ろうとしたら、駅に向かう先生の姿が見えた。
先生は池袋駅から電車に乗って帰宅される所だったのだろう。
声をかけると「やあ、久しぶり」と懐かしい声が返ってきた。
「立ち話もなんだから」ということで、当時東京でも出てきた牛タン屋に
先生をお連れした。(もちろん会社へは直帰の連絡をした。)
この牛タン屋は取引先の関係で少し前に知った店である。
先生は「牛タン」が初めてだったらしく、とても喜んでおられた。
(風貌からは想像できないが、酒好きであられた。)
それから二時間ほど酒もはいり、色々と話をさせていただいた。
昔読んだ「赤頭巾ちゃん気をつけて」で、主人公の「兄」が
街で学生時代の恩師にあって、そのまま夜半まで二人で話しこむ
という挿話があったが、我ながらそういうことは起こるのだなと思った。
もうあの店も無いだろう、というより場所もどこにあったのか良く覚えていない。

初霜に偲ぶ事あり生々流転





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庄司 薫

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