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マスターの叔母が認知症に

更新したくないカテゴリーがいくつかあるが
この「介護」カテゴリーもその一つ。それでも更新する事態となった。

正月明け、叔父(亡父の弟)からの年賀はがきが届いた。
文面は文字で埋め尽くされてた。読み進めると
叔母が昨年末から認知症を患い、病院に入院中だということだ。

以前は美容院を営んでいて、お喋り好きだった叔母の姿がすぐに思い出した。
震災直後の地獄の日々も叔母は元気に私たちを励ましてくれたものだ。

あの、どう見ても「認知症」とは縁遠い叔母ががなぜと思い
早速叔父に電話。

実は叔母は数年前から認知症を患い始めていたそうだ。
何も起こっていないのにいきなり警官を呼び、
しかも警官が「確かにこの方の声です。」と証言しているのに
当の叔母は警察に電話を掛けたことさえ忘れていたそうだ。

震災直後にお会いした時には特に変なところは感じなかったし
その前から、マスターの両親の介護について何度も電話をしたが
元来しゃべり好きでもあって、特に異変は感じていなかった。

昨年11月の初めに、突然家の中で暴れだしたのが本格的発症。
約一月を経てようやく隔離・閉鎖病棟に入院。

三か月しか入院が認められていないので
そのあとは認知症患者のための施設に入らないといけない。

電話口の叔父は、明らかに疲れていた。

見舞いに行く旨、叔父に話したが丁寧に断られた。
人に会える状態ではないようだ。

そうは言っても何もしないわけにもいかず
とりあえず見舞金を叔父あてに送った。

これからのことは、叔父に連絡しながら進めないといけないだろう。
そのうち必ず叔母の見舞いもしたい。

次々と凶事起こるや年の明け


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臨終の床

過去記事より続く。

電話は家からだった。
父のすぐ下の弟一家が見舞いに来たので、すぐに帰宅するようにという内容である。
家は親戚たちが詰めかけていて息苦しいので、
昼食をとってから帰宅しようと思った矢先である。
タクシーに乗り、家に戻る。
相変わらず父は眠っている。弟一家が来たのもはたしてわかっただろうか。
弟一家は安心したのか家を出て帰路に就いた。
マスターも状況に変化がないと思い、改めて昼食と買い物のために外出。
昼食を終え、スーパーで買い物をしているとまたもや携帯。
父の容態が急変しているそうだ。
買い物を中断して駆け戻る。

自宅に戻ると、すでに隣家の内科医が生体反応をチェックしている。

間に合わなかった。

間に合わなかったのはマスターだけでなかった。
隣室で詰めていた親族たちも同様である。

父の部屋にはたまたまヘルパーさんしかいなかった。
そのヘルパーさんが父の様子をみると、息をしていないようなので
慌てて親族に伝えたのである。

生前から死についてを研究テーマにしていて、
自分の看取り段階から「指図書」を書き残し
その通りにするように依頼していた父らしい、静かな最期だった。

梅未だ咲かぬなりけり父が逝く

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父の病状

いつもの金帰月来。
金曜の夜、マスターが帰宅するのを見計らって、
父の主治医がマスター宅を訪問するという。
親戚の人に許可を得る要件だそうだ。

帰宅後、マスターと父の親戚が主治医と面談。
主治医によると父は「いつ亡くなってもおかしくない状態。」だそうだが
長年スポーツ(剣道)をしていたためか体力が強靭で、持っているとのこと。
もっとも、先週から夜間の行動・譫妄が激しくなっているので、
今までより強い薬の利用許可を願い出てきたのである。

もとより、夜間介護にあたるヘルパーさんの負担軽減に異論はないので認める。

さっそくその夜から薬が切り替わった。
今までヘルパーさんを悩ませていた夜間の譫妄・行動(服を脱いで
ベッドのわきに座り込むなど)はなく、落ち着いた夜を過ごした。
翌、土曜の夜も同様だった。
「薬が効いたのか。」と一安心する。

しかし、日曜の夜は以前ほどではないが譫妄症状を再発。
身体が薬に慣れてしまったようだ。

かくして夜間介護の大変さも続くこととなった。

パソコンの手を休めてみぞれ見る

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宗教学者 山折哲雄氏 父を見舞いに来る

少し前の事である。
マスターの携帯のベルがなった。
電話の主は著名な宗教学者山折哲雄氏の秘書役と名乗った。
山折氏が父のもとへ見舞いに来たいという。
異存はなく、当時は父の病状もそれほど進行していなかったので快諾。

見舞い当日はマスターは仕事で仙台に戻れなかったが、
ほとんどが元教員である父の兄弟たち、母の弟夫婦、
かかりつけ病院の医師たちが、著名な学者の話を聞こうと
狭い病室は満杯となったそうだ。

母の弟(叔父)が父との付き合いのきっかけを尋ねたそうだ。
山折氏が若い駆け出しのころ、
父の研究テーマに興味を持ったそうだ。
父に会うと、父は快く研究テーマについて解説をして、
さらに関係者も紹介をしたそうである。

当時、学界では無名の山折氏は思わぬ親切に感激したそうである。
それ以来、父との交友が続いているそうである。

家で見ている父とは違う、意外な一面を知った。

叔父がいただいた名刺によると山折氏は京都住まい。
東京の所用のあと、仙台まで出かけたそうである。

昼時になったので、近くの「武田屋そば」から
うどんを出前してもらった。
山折氏も父も美味しく食べたそうだ。
山折氏は「自宅近くの店より美味い。」と
ほめたそうである。


元商売人の叔父。
山折氏の著作を用意して待っていて、
著作にサインをしてもらった。
下記の本がその「サイン本」である。

にっぽん巡礼 ~漂泊の思いやまず~にっぽん巡礼 ~漂泊の思いやまず~
(2010/10/15)
山折哲雄

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日脚伸ぶガラス越しの夕焼けよ

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鰻は食べるな

ある日、父がマスターを枕元に呼んだ。
「鰻は食べるな。今は中国や韓国の薬漬け鰻ばかりだ。
そんなのを食べていると俺のように肝臓がやられる。」
父は鰻が好きだった。
上京のときはマスターが鰻の名店を案内したことは
再三ある。
取引先からの接待も高級鰻店だけで大喜びだった。
取引先から見れば手のかからない客だったろう。
父は子供時代、田んぼに仕掛けていたヤナに鰻がかかっているのを視るのが、
朝の日課だった。
鰻は戦前の東北の農村では貴重な現金収入だった。
子供時代は食べられなかったので、長じて後、好物になったのかも知れない。
父の発病は鰻が原因ではないだろう。
若いときの暴飲と薬好きが
肝臓に負担を掛けたのだろう。
マスターも暴飲・薬好きなので気をつけないと。

ときめきし時代が懐かしバレンタインデー

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仙台駅6時4分発 やまびこ202号

金帰月来の「月」で利用する新幹線。
地方赴任や地方回りとは縁のないサラリーマン暮らしだったので
(したかった!いまからでも考えてくれ、会社様。)
このような地方発の早朝新幹線はほとんど乗っていなかったので珍しい。
02070001.jpg
朝5時30分ころ。自宅近くの地下鉄駅に向かう。
地下鉄の一番電車は新幹線に間に合うようにダイヤが組まれている。
電車内は、意外と乗客が多く椅子席はほぼ満席。

仙台駅に降りる。新幹線ホームはこれも大賑わい。
多くは背広姿の男たちだ。
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改札口付近の売店、一部土産物店は早くも開店している。
東京同様「竹の子」が作られている。
「竹の子」から新聞を抜き取り、パンと牛乳をパスモで買い
新幹線ホームへ向かう。
02070003.jpg
ホームにはすでに新幹線が扉を開けて待っている。
冬場は助かる。男たちは黙々と乗り込む。
02070004.jpg
ざっと見渡すと、始発駅ゆえか指定・自由ともにがら空きである。

いつものように静かに列車は滑り出す。
02070005.jpg
福島で夜が明けた。
自由席は宇都宮で通勤客が乗り込み8割がた埋まる。
小山で自由席は満員となり「荷物を席に置かないで。」と車掌がアナウンス。
意外だったのが大宮駅。降りる客が多いのは当然だが
それ以上に乗る客も多く、自由席は立席も出る賑い。
カネより時間というわけか。

八時過ぎに上野、東京着。
9時始業の都心部の会社ならば十分間に合う時間である。

いつもの通勤電車に乗り換えると、見慣れた同僚達の顔を見つける。
違う東京の違う会社に出勤したような変な気分。

地は怒り政(まつり)は混迷紀元節

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父の病状について おさらい


1月にブログをろくに更新出来なかったので、
父の状況について理解出来ない読者も多いだろうから、
この辺でおさらいをします。

父が倒れたのは12月上旬。
すぐに検査したところ、手遅れの悪性腫瘍と判明。
かねてからの父の方針に従い、延命治療はしないことにした。
とりあえず一般病棟に入院。
1月中旬に医師は付属のホスピスへの転院を勧めるが父は拒否。自宅療養の道を選ぶ
母も世話になった緩和ケア専門病院に再び看護を依頼。
父の元にヘルパーを1日2交代二十四時間付き添わすことにした。
もちろん異変時には看護師、医師が駆けつける手配も済ます。
退院・帰宅時には民間の救急車(福祉タクシー)を使い、寝たまま移動した。
マスターが付き添ったのは言うまでもない。

父子して救急車から覗く冬の街

画像は父がヘルパーさんに書かせた病名紙。
火事など非常時にベッドごと避難するとき、布団の上に貼るそうです。

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「死期予告」の男女差


前記事の会議の時、医師は面白い話をしてくれた。
それは患者が自分で「もうすぐ死ぬ。」と周囲に洩らした時の「正答率」である。
これは男性は大概ハズレで、女性は結構当てるそうだ。
医師の推論によると、男性は病状をアタマで捉え、自覚症状から類推して「危ない」と言うらしい。
一方女性は「子宮感覚」と言うのか、カラダの声を素直に感じて死期を悟るようだ。
ある女性患者は朝に検査値は悪くないのに「今夜でだめかも」とつぶやき
半信半疑で親族を集め夕食を摂った直後に亡くなったそうである。
天の配剤の妙と言うべきか。

鬼役の父に豆撒きし幼き日

画像は父の命綱の一つ
酸素吸入器である。

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金帰月来

仕事中、父の面倒を見ているヘルパーから電話。
「お父さんの咳が止まらず、本人は『今日で死ぬだろう。』と
言っています。帰宅してほしいというので電話を差し上げました。」

マスター幼少時からいつも「俺はすぐ死ぬ。」と言う「狼少年」だた父。
でも、今回は親戚にも同様依頼があり、おりしも健康状況は
悪化を続けているという医師からの報告があった直後なので
いったん帰宅して身づくろいをもって、夫婦で夜の東北新幹線に飛び乗る。

父は医師の投薬で落ち着きを取り戻し大したことはなかった。
マスターをはじめ翌日に休みを取って駆け付けた縁者たちはあきれてしまった。

翌日は親族・医師を交えて今後の緊急時方針会議。

1.今後は昏睡状態に陥らない限り呼び出しはしない。
(職場をいままで何度も急に休んでいるので、これ以上
 休みたくないのが本音。)
1.なるべく夜はヘルパーさん以外にも親族が付き添うようにする。
  (夜間に呼び出しの電話をヘルパーさんに依頼してかけたりするので、
   みなうんざりしている。ヘルパーさんは立場上夜間の電話依頼を
   強く断るわけにはいかない。親族がいると安心するようで騒がない。)
1.とりあえず実子のマスターは「金帰月来」をしてもらう。
  これで、金土日夜間は親族がいることになる。
1.ほかの日は週1,2回程度他の親戚が詰める。

といったところである。

24時間自宅介護にしているので、週末も割引切符でゆっくりとした日程を
目論んでいたマスターとしては、皮算用が消えてしまった。

もっとも他人の迷惑が少なくなれば甘受しよう。
会議の日の夜はマスター夫妻、翌日はマスターの連れ合いが仕事を調整して
健気に付き添った。(マスターは一番の新幹線で直接出勤。)
連れ合いに大変な貸しを作ってしまった。夫婦喧嘩はもうできない。
2011012919530000.jpg


「梅が咲くまで生きていたい。」と父つぶやく

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告知

年末以来、父の介護の為、ブログ更新が出来ません。申し訳ありません。m(__)m。
本格的再開は11日以降となります。
(携帯より投稿しました。)

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