進め!2000円札

二千円札の利用を呼びかけています。画像欠落記事はコメント・  メールにて遠慮なく連絡ください。気付き次第復旧致します。

笹塚・東北沢点描

昼下がりの京王線の笹塚に所用があり出かける。
いかにもこの界隈の典型の、
駅前に広い路がない戦前に開発された町並み。
しばらく行くと古い街灯と住居表示を見つける。
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まるで向田邦子の小説の世界が飛び出してきたみたいだ。

広い通りにでる。
小田急線の東北沢駅へと向かう。

改築はされているようだが
まだ昭和初期に建てられた文化住宅が残っている。
この辺はかって萩原朔太郎をはじめとする
文学者・芸術家が多く住んでいた街。
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やがて、小田急線に到着。
なんと東北沢駅は地下駅となっている、
マスター上京のころから噂になっていた地下化が
ようやく始まったのだ。
ここだけ景色は平成となる。
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ここから一駅の下北沢へ電車で向かう。

朔太郎空を仰ぐか五月闇

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袱紗を三越で買う

週末に都心に出かける用事があり、久しぶりに三越本店に出かけた。
銀座線入り口から入り、案内所で来意を告げるとすぐに売り場を教えてくれた。
やはり三越は茶道具を売っていて安心する。
エレベーターに乗る。長いことこのエレベーターは
古い米国製で、エレベータガールが操作する方式だったが、
今は客がボタンを押す方式に代わっている。世の習いとはいえ寂しい。

茶道具売り場はそれほど広くはなかった。
「表千家の男性用の袱紗を見せてください。」と頼むと
ショーケースから二種類の袱紗を出してくれた。

布地の重さが違うと説明を受ける。
初心者ならば軽いほうがよいとすすめられる。
手に取ってみる。確かに微妙に重さが違うのが感じられる。
こういう部分はネット販売では確認できない。

早速袱紗捌きの真似事をするが、
すぐに袱紗のおり方が逆であると指摘される。

売り物でもあるのだろうが、すでに折り目が
少しついているのでそれを利用するようだ。

結局初心者らしく素直に軽い方(値段も安い)を選ぶ。

他には茶碗、掛け軸などがそれぞれ少しずつ置いてあった。
掛け軸は三越だから良いものなのだろうが、
マスターの趣味とは違っていた。
シンプルな楷書で禅語が書いてあるのであれば良い。

「またよろしくお願いします。」という見送りの言葉も
なぜか新鮮に聞こえた。

もちろん支払いは二千円札2枚で済ませた。


初釜や新しき袱紗を腰に差し



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デパートから茶道具売り場が消えている

例の座禅道場の関係で、表千家の初心の道具を揃えることになった。

とりあえず、上野の松坂屋に出かける。確か茶道具コーナーがあったはずだ。
入り口脇の案内所に来意を告げると
「申し訳ありませんが、現在は扱っておりません。」とすげない返事。

もちろん、30年位前の百貨店と違い、いまは家電品やかっては人気があった
おもちゃ売り場が縮小・撤退となっているのは世の習いだとはわかっている。
でも、そのような時勢だからこそ、文化的なものはある程度度外視して
売り場を維持すべきであるべきだ。

二十年前、韓国語を習っていたとき、ネイティブの先生が
「マスターさん。私は最近茶器に興味があります。どこで売っていますか。」
と聞かれた。先生は千駄木に住まわれていたので
「松坂屋にいけばありますよ。でも茶碗ならば店員に韓国人だと言えば
『お国に帰ったときに買ったほうがよいですよ。』といわれるでしょう。」
と答えた。(韓国の陶磁器がもてはやされたころの話である。)
翌週先生は「確かに松坂屋さんで、マスターさんの言われたとおりのことを
いわれました。」と驚いていた。韓国でも陶磁器を作っていたのを先生は
しらなったのである。

話がずれた。
今回私がほしかったのは男性用の袱紗である。
ネットで調べるともちろん出ているが、やはり肌触りなどを
自分で確認したい。手ぬぐいの類とは違うのである。

もちろんマスターも、茶の専門店や三越では売っているのは知っている。
でも専門店の場合、閉店時間が早かったり、週末は休みのこともあり、
北総台地住まいのマスターにはなかなか行きづらい。
マンガやコスプレの日本文化も結構だが、
最近は旧来の文化をなおざりにし始めて、
「クール・ジャパン・バブル」に向かっているのではないだろうか。


降る雪や素手に厳しき街歩き

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明石のプラネタリウム 稼働52年、長寿日本一に 

1960年6月10日に投影を始めた兵庫県明石市立天文科学館(同市人丸町)のプラネタリウムが8月29日、旧大阪市立電気科学館の投影機(1937~89年)を抜いて“長寿日本一”になる。現役最古の投影機は、阪神・淡路大震災による休館も乗り越え、約815万人に「星空」を提供し続けてきた。(中島摩子)


 日本標準時子午線(東経135度)の真上にある天文科学館の投影機は高さ約3メートル、重さ約2トン。旧東ドイツのカール・ツァイス・イエナ社製でアリのような形が特徴。大型2球式で数百枚のレンズ、約200枚の歯車、約90個のランプから約9千個の恒星と太陽、月、天の川などを映し出す。

 60年の輸入時、32個の木箱に梱包(こんぽう)され、船で神戸港に到着。2人のドイツ人技師が明石を訪れ、約2カ月かけて組み立てた。大型プラネタリウムは大阪や東京に続き、国内4台目だった。

 天文科学館技術係だった清水良孝さん(70)=明石市天文町=は「初めて見る機械。図面も全てドイツ語で、慌てて辞書を買った」と振り返る。ドイツ人技師の帰国後は機械を任され「開館からお客さんが途切れず、重圧を感じながら、情熱と愛情でメンテナンスを続けた」。78年度には最多の26万3679人が入場した。

 最大の危機は阪神・淡路大震災だった。投影機は被害を免れたが、ドームスクリーンが損傷するなど大きな被害を受け、同科学館は約3年間休館。ただ、投影機は動かし続けないと劣化するため担当者が天井や壁に星空を映し、メンテナンスを続けて再開を待った。

 現在、国内には400台超のプラネタリウムがあり、デジタル技術の向上で最新鋭の機器が誕生している。明石の投影機は手動式で、肉声での解説にもこだわる。長尾高明館長は「お客さんの反応を見ながら丁寧に説明する。コミュニケーションを大切にしたい」と力を込める。

 同科学館は記録更新の8月29日、記念式典を計画。長尾館長は「機械に重大な欠陥はなく、これから前人未到の記録に挑む。明石の観光資源としてもPRしていきたい」と話す。

(2012/07/15 07:58)

http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0005214078.shtml

マスターも子供時代、仙台市立の天文台に設置されたばかりのプラネタリウムで
何度か「星空」を見学したことがあります。

もっとも、当時は市内でも夜になると多くの星が眺められました。
プラネタリウムの投射機はここに書いてあるようなアリ型でした。
製作社までは忘れましたが、外国製だと思います。

こういう機械はメンテナンスが大変だと思います。
マスターと同じ年月を生きているこのプラネタリウムにはこれからも
星空を投射してほしいものです。

仙台の天文台は、プラネタリウムともども今では市街地の真ん中の
「西公園」から郊外のド田舎愛子(あやし)に移転したようです。

入場料も高くなりました。マスターが出かけたころは100円程度でしたでしょうか。
当時でも、仙台のこの手の公共施設の子供料金は安かったと思います。
口の悪い父は「社会党市政の人気取り政策。」と嫌味を言っていました。


梅雨明けや夜空に再び夢を見ん

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試験の答案くらいネットから離れて考えよう

昨年、そして今年もこの時期にアクセスが増える拙記事がある。
マスターが一昨年秋に書いた「立教大学と太平洋戦争」である。

マスターはこの時期、この記事のアクセスを確認するたび、
正月明けもそこそこに、期末試験の勉強・受験を
しなければいけなかった学生時代を思い出す。

マスター在学当時の立教大学は、キリスト教の行事に学内スケジュールが規定されていた。
12月初旬に冬休みに入る大学もあるのに、クリスマスまでは講義があった。
正月は4日から講義再開というサラリーマン並みの忙しさ。
一月下旬から期末試験。
専門関係の期末試験も終るのは2月14日。
その日の夜の池袋の飲み屋街は、ゼミやクラブの打ち上げコンパで
終夜学生たちの姿が絶えなかった。
以前にも書いたが、クラブ・ゼミに入っていれば女子学生からの
「義理チョコ」も確実にゲットできるという有り難いスケジュールであった。
翌15日から入試が始まるので、
教職員・手伝いの学生にはのんびりとは出来なかったが。
14日の午後、最後の試験が終わると、学内は明日からの入試に備えて
すぐにロックアウトされたのを思い出した。

さて、この有り難い「キリスト教主義」の「暗部」を学ぶ後輩諸君が
今年もいる様子なのは嬉しい限りではある。

でも、一介のサラリーマンの随想など参考にしないでいただきたい。
これぐらい自分で考えて「自分の学生生活と当時の学内状況」を比較しながら
きちっとした各人のカラーを出した答案を書いていただきたい。
せっかくの機会なのだから、拙記事で掲載した本位目を通していただきたい。

採点者はプロなのです。
ブログや参考書籍の引き写しではなく、
プロを唸らせるような答案を提出したいとは思いませんか。

あの蓮實重彦先生は、辞書の引き写し答案は容赦なく「C」をつけたのです。
くれぐれも拙ブログの引き写しはしないように。

安下宿コタツにくるまりノート見る

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同人誌、紀要、会報などの保管方法

マスターの所属している(といっても最近は幽霊会員だが)
句会の先生が所属している句会が、少し前創立100年を迎えた。

といっても、教科書に載るような有名俳人を擁しているわけでないので、
初期の会報が見当たらない。
いろいろ探したが、結局初期の会報はみつからなった。
百年もたつのでもちろん創設当時のメンバーは亡くなっている。
俳句に限らず、趣味関係は子供や配偶者にとっては意味不明、
極端な場合は家勢を傾けた原因と思われる場合が多く
会員が亡くなると、会報の類はゴミとして捨てられてしまったようだ。

亡くなる前に、会員で庶務関係を担当している人に託するのが
すぐに思いつくだろうが、これも不確実である。

印刷物ならば、自費出版でも国会図書館が保管を受け付けてくれる。
というより、保管の義務がある。
国会図書館に会報・同人誌などを送付しておくのも
後々のために良いだろう。

詳しいことはリンク先をご覧ください。

なお、一度国会図書館に送ると、欠落号を図書館側で気づいた場合、
ちゃんと出版元に問い合わせてくれる。
出版元が存在して、バックナンバーが残っていれば
すぐに対応できる。

これならば、後々資料をひっくり返す時に苦労しない。
なんかクラウドみたいな話になりました。

木枯らしやコートの襟を改める

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告知 「作家 吉村昭の交遊録」

お世話様です。
荒川区から封書でチラシが送られてきました。
興味のある方は是非ご覧ください。

6月12日から7月14日まで
場所 荒川区立荒川ふるさと文化館


特別講演
「吉村昭の文学修業時代」
講師 戦史研究家 森史郎 氏
7月3日 14時から16時まで

往復はがきに「特別講演会参加希望」と書き
①氏名②郵便番号・住所③電話番号を書き
6月18日まで申し込みください。

あて先
〒116-8501
東京都荒川区荒川2-2-3
荒川区教育委員会事務局社会教育課文芸館調査担当学芸員 

よろしくお願いします。

吉村吉村1

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宇宙飛行士の日

勤務先で日めくりカレンダーを見ていると、
「宇宙飛行士の日」と書いてあった。
「なぜ、この日が。」と思ったが仕事中でもあり調べるのを忘れた。

帰宅後パソコンを開くと宇宙から教えてくれた。
「49年前の今日、ガガーリン飛行士が始めて地球を周回しました。
「地球は青かった。」今も地球は青く、美しいです。」

1961年4月12日に人類が始めて宇宙に飛び出した日だったのです。
ネットで調べても、日本語環境ではほとんどヒットしませんでした。
つまり日本ではほとんど知られていない。

英語環境ではさすがにヒットしてますが、一部関係者がお祝いをする程度みたいです。

あの日めくりカレンダーの製作者はよく調べたものです。

ガガーリンが飛行したときは、マスターは物心つく前で覚えていません。

知らない人もいるでしょうから、ガガリーンの写真をアップします。
ロシアでは左右問わず今でも尊敬の対象になっているそうです。
笑顔が印象的な人でした。(それが初飛行に選定された理由でもあるそうです。)
ガガーリン

桜咲く空のはるかを飛翔せり

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司馬遼太郎 雑談「昭和」への道

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1986年5月初放送だそうです。
NHKはこういう番組とニュースと社会告発ドラマだけ作っていればよろしい。
再放送でも視聴料を払います。

まだ、ハイビジョン録画でないのが惜しまれます。
いろいろとコメントしたいですが、とりあえず「雑談」前半の「ノモンハン事件」。
以前からマスターは司馬氏が「ノモンハン」を描けなかったのは、
もし「坂の上の雲」の描き方をすると、敵方のジェーコフやスターリン、
多くの無名のロシア人たちを主人公にしないといけないことに気が付き
書けなくなかったものと仮説を立てていました。

今回、名前は出しませんでしたが「ジェーコフ」に触れ、ソ連軍の装備
発想などを評価しているのは、拙「仮説」もあながち間違いではなさそうと思いました。

「統帥権」。やはり出ました。
ところで司馬氏が偉いのは、視聴者は必ずしも自分が興味あることを
同様に知っているという目線でなく、あくまでも「歴史」や「小説」に触れていない
人にも理解して欲しいように語り掛けていることです。
これはここまで高名になると、なかなか意識していてもできない事では。

司馬氏が亡くなったとき、「よくいる『没後すぐに忘れ去られる作家』となるだろう。」
と予言をした評論家がいました。
でも、没後10年以上を過ぎてもなお司馬文学は色あせません。

長き夜や逝きし人の息遣い

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沢村一樹 ハマカーン デーブ大久保

またもやOB会報を読む。
マスターの出身高校の系列大学の学園祭で
上記の三人が呼ばれて大喝采だったそうな。

名前を聞いて知っていたのは「デーブ」だけ。

残る二組を調べる。

沢村はあの「セクスィー部長」、TBS版の「浅見光彦」。
(マスターは夜が早いので「サラリーマンNEO」は見ていません。
二時間ドラマも嫌いなので見ていません。)

ハマカーンの一人は、「神田うの」の弟と知る。

ちなみに「デーブ」氏の講演会では、「参加者が感銘を受けて」いたそうだ。
見かけとは違い、苦労人の一面もあるからだろう。
(なお、2007年のOB会報です。)

お土産を皆で分け合うお盆明け

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