進め!2000円札

二千円札の利用を呼びかけています。画像欠落記事はコメント・  メールにて遠慮なく連絡ください。気付き次第復旧致します。

コンビニ熟女店員が妄想を抱く客達 一人目(追記あり)

以前、住んでいた街の近所に、バツイチで一人息を育ていいる、健気な女性がいました。
顔立ち体型ともにキャンディーズのスーちゃんによく似ている方です。
年齢的にもほぼ同じですから、田中好子と言ったほうがよいかも。
彼女はコンビニの店員をして生計を立てています。
 さて、彼女がコンビニで頭の中が混乱して
アレの妄想をつい抱いてしまう客達の話をしてくれました。
(続く)

2009年1月18日追記
これもfc2に移行後もアクセスが確認されています。
「コンビニ 熟女」でAVを検索しているうちにアクセスするようです。

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具合わるいです

さて、実はマスター水曜日は勤務先を休ませていただきました。
体調が起床時から思わしくなかったからです。
思えば、マスターは齢3歳の冬、肺炎に罹り、死線をさまよったそうです。
というのはそのときの記憶では確かに苦しかったのですが、
「死ぬ」という意識が、当人にはなかったのです。
どうも、その体験がマスターのその後の人生に、影を落としています。
過去記事でかなり「戦争」に触れていますが、
「死」と向かい合わせなのは「大病」と共通しています。
「宗教・歴史」に関する考察も同様に「死」とかかわっています。

うーん。やはり暗い記事になりましたな。
体調が回復していない。次はマスターには珍しく
「色物」でいきましょうか。



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「老子」を調べました(追記あり)

お世話様です。マスターは日本在住なので、
書き下し文と現代語訳のついている「老子」
(金谷 治 講談社学術文庫 1997)を購入して調べました。

多分、老子道徳経 下編 63章 (以下書き下し文)
「無為を為し」 の

天下の難事は必ず易きより作(おこ)り、
天下の大事は必ず細より作(おこ)る。

だと思います。

この63章は太平洋戦争の日本敗戦を受けて、
蒋介石が、この章の「怨みに報ゆるに徳を以てす。」を引用して、
日本人軍民の保護と、速やかな帰国を中国国民に依頼したことで有名な章です。


ちなみに金谷本では、この語句の解説を
「物事に慎重でなければならない。」と解釈しており、
貴兄の「何でもすぐにしろということでしょうか」とは逆の解釈のようです。
それでは。

2010年1月17日追記
これはある海外在住の方が、英語で老子を読んだとき、
ご自身で「翻訳」した文章と感想をブログにアップしたのにTBした記事です。
元記事は失われています。
厄介な事にこの感想に「その通り」というコメントが多数付いていました。

老子が新自由主義者みたいな事を言うわけが無いので、疑問に思い
久しぶりに老子を手に取り調べました。
ご本人は「英語でしか読んでいない。」というので
原文を提示したのですが、何の反応もありません。

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沖縄に行きたい(追記あり)

沖縄には出かけたことがありません。
4日間の休暇が取れたら是非出かけたいと思います。
それでは。



2010年1月17日追記
2000円札の積極利用のリンクをしているおかげで
ずいぶんと沖縄のお店から宿まで知り合いになりました。
連れ合いの休みのスケジュールも考えないといけませんが
なんとか年内には出かけて、リンクしている皆様に
挨拶したいと思います。

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知られざる化学物質「DHMO」の作用について-関係者は知らん振り-

幼少の頃から博覧強記で知られたマスターですが、
この化学物質(DHMO=dihydrogen monoxide)については全くその恐ろしい作用の一面について知りませんでした。
実はマスターの勤務先ではかって工業用DHMOの使用量が上位だった事で話題をよんだ事もあるのです。
もし、入社時にこのことを知っていたら、入社をためらってしまったかも知れない。
 しかも、このDHMOに関しては多くの化学系研究従事者がそのことを知っていながら、ダンマリを決め込んでいます。
背筋が寒くなる。まさに冷や水を浴びせられた思いです。
以下、長くなりますが、その作用を列記します。
こんなことが許されていたとは、戦争以上の犯罪かもしれません。

DHMOは水酸の一種で、ほぼ無色(ごく薄い青色)、無臭、無味であるが、毎年無数の人々を死に至らしめている。
常温では液体だが揮発性があり、密閉しなければ大気中へ拡散してしまう。
DHMOは酸性雨の主成分であり、温室効果にも大きな効果を持つ物質である。
化学反応において、酸とアルカリを中和した際などに生じる副産物にも大量に含まれている。
DHMOの分解には大量のエネルギーが必要で、分解後には高濃度の水素ガスが発生する。
DHMOは金属の腐食プロセスを加速する。特に鉄には顕著な錆を生じさせ、工業製品などに多大な悪影響を及ぼす。
また、自動車の電気系統の異常やブレーキ機能低下を来す。
液体のDHMOを呼吸器系に吸引すると急性の呼吸不全を引き起こすことがある。
経口摂取で発汗、多尿、腹部膨満感、嘔気、嘔吐、電解質異常、悪心、下痢、腹痛、頭痛を来すことがある。
大量に摂取すると痙攣、意識障害等の中毒症状を引き起こし、最悪の場合死に至る。
重度の熱傷の原因であり、固体の状態のDHMOが長時間人体に触れていると体組織障害を起こす。
気体状態でも危険な性質を持ち、人体に触れると糜爛性の傷害を受けることがある。
爆発的な性質を持つことから、発電にも用いられる。
空気中のDHMOは発汗による体温調節機構の働きを阻害する。
このためDHMOの濃度が高い環境にいると独特の不快感がある。
不妊男性の精液や、死亡した胎児の羊水、癌細胞から多量に検出される。
バイオテクノロジー分野においても、動物実験や遺伝子操作などの過程で用いられている。
ある種のジャンクフードにも大量に含まれ、パッケージしたものを飲用に販売している業者さえある。
農薬散布にも使われ、汚染は洗浄後も残る。
工業的に溶媒や冷却剤などとしてコンビナートや原子力施設で大量に使用され、そのほとんどは河川に投棄されている。
原子炉では、中性子の減速剤、および冷却材として大量にDHMOが用いられているが、上記に挙げられたDHMOの危険な性質によって、事故が発生する要因となっている。
旧ソビエトでは1986年4月26日に、チェルノブイリ原子力発電所4号炉が大事故を起こした。これは原子炉内で用いられていたDHMOが、その特性により多数の圧力管を破裂させ火災を招いたものである。
日本でも2004年8月9日に、美浜発電所3号機においてDHMOの不適切な運用により4名の死亡者を出した。
海軍などの軍機関は軍事利用の目的のためDHMOに関する研究を巨額の費用を投じて実施している。また、軍事施設では大量にこの物質が備蓄されており、武器製造や兵站にも供されている。
沖縄や横浜の米軍基地、原子力空母にも大量に備蓄されていることが確認されているが、国会で問題になったことは一度もない。
既にDHMOを弾体の代りとする銃は実用化されており、製造が比較的簡単で安価なため、多くの国では未成年者、場合によっては児童にさえ入手可能である。また、これを大型化して車載したものも開発されており、1970年代頃までは日本においても反政府デモの制圧などに使用されていた。
DHMOは帯電しやすいにも関わらず先進国の大企業や国民によって自然界に放出し続けられたため、時々放電し人々を即死させたり、火災の原因となっている。
DHMOが精密機械などに付着すると、ショートや接触不良になりやすくなる。また、これを放置して機械が故障したり、それらの機械に触れて感電する場合もある。。
血液中にあるDHMOは血栓の移動に関係しており、これによって日本では毎年8万人以上の人が脳梗塞に罹患し死亡している。
妊婦がDHMOを摂取すると、胎児にも胎盤を通じて体内に入り込むことが確認されている。また、世界の主要な都市圏に住む女性の母乳中からは85%以上の割合で高濃度のDHMOが検出されることが知られている。
DHMOの汚染は全地球的で、南極の氷床からも検出されている。さらに、いまや地球表面にとどまらず、地殻内にまで及んでいる。地殻内のDHMOは火山活動を活発化させ、地震を誘発する。
自然中にあるDHMOは、洪水や津波、干魃などの天災の主な要因となっている。
DHMOは依存症を発症させやすい。発症すると毎日少なくとも2リットルは摂取しなければならなくなる。代表的な禁断症状として、猛烈な喉の渇きを訴える例が多く、さらに進むと幻覚を見るようになる。放置すると死亡する。その確率は100%である。WHO(世界保健機構)の推計によれば潜在的な患者数は63億人になり、今後とも増加傾向にある。DHMO依存症は人間だけでなく多くの動物で発症することが知られている。治療する特効薬はない。DHMOを適量ずつ摂取させることが唯一の治療法である。摂取量が多すぎても少なすぎてもいけない。
犯罪者の血中、尿からは大量のDHMOが検出される。暴力的犯罪のほぼ100%が、何らかの形でDHMOが摂取されて24時間以内に発生している。
日本では、いわゆるひきこもりの血中や尿にも大量のDHMOが存在することが確認されている。
DHMOを使用した自殺や殺人事件も、毎年後を絶たない。
食品中のDHMOは微生物の繁殖を促進し、腐敗を招く。
昔ながらの保存食と呼ばれるものの中にも、食材からDHMOを取り除く加工工程を持っているものが少なくないことが判明している。また、NASAも宇宙食の研究にあたり食品中からDHMOを取り除く手法を開発した。

さらに詳しく知りたい方はこちらの英文リンク
を御覧下さい。

追記
今もNHKのラジオニュースで「ダイオキシン・アスペスト問題」を
考える「市民団体」が政府に早急なる対応を請願している
ことを伝えていました。この問題の事態は猶予を許しません。


なお、ネット百科事典「wikipedia」の該当ページは必ずみてください。そうしないとこの記事の真意
は理解できません。
.


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25年前の仕立券は使えるか?(画像復旧)

部屋の掃除をしたら、25年前のワイシャツ仕立券が出てきた。
ダメモトで、都心にあるデパートへ向かう。
これって、有効期限が多少過ぎていても、結構受け付けてくれるものです。
 さて、若いテーラーは「うーん。ちょっとお待ちください。」
といってその場を立ち去る。
 しばらくして、マスターと同世代に見える、売り場主任らしき男性がきて
「お客様。申し訳ありませんが有効期間切れですので、お受けできません。」と丁寧に答えた。
 もとより承知の上なので、マスターはおずおずと引き下がった。
やはり、こういうものは早めに作りましょう。
イメージはその仕立券です。デパートが特定できるが致し方ないでしょう。


阪急

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日本の「プライベート・スヌーピー」達(画像復旧・追記・追加)

さて、日本には明らかに「ドイツ~」の影響を受けた
「聞け、わだつみの声」がありますが、こちらは有名なので後回し。
 スヌーピーはアメリカ中西部在住(というより作者のシュワルツ氏が出身です)のようですが、
こちらは中西部同様、農業主体の岩手県出身の戦没農民兵の手紙です。
 「岩手県農村文化懇親会編 戦没農民兵士の手紙 岩波新書」
戦没農民兵士の手紙 (岩波新書)戦没農民兵士の手紙 (岩波新書)
(1961/07)
岩手県農村文化懇談会

商品詳細を見る


マスターは学生時代古本屋で入手。
裏に鉛筆で他人の字で「200」と書いてあるから、その値段で買ったのでしょう。

初版は1961年です。マスター入手版は1974年版です。
こちらも、淡々とした農民達の描写が描かれています。
これも入手されて一読される事をお奨めします。

なお、この本の中であるはがきが紹介されています。
あて先の自宅・父親名の後になぜか「気付」となっていて
「小笠原 硫蔵 様」 という宛名が書いてありました。
「小笠原」氏は実在せず、家族はこれを当時日本本土でも
激戦が伝えられていた、「小笠原諸島」の「硫黄島」に向かったと読み取り、
生還を諦めたそうです。(後にその通りと判る。)

自分の向かう戦場を家族にも伝えられない状況はアメリカも同じで、
以前子供時代に「連邦警察」という映画を、NHKでテレビ上映されたのをみましたが、
主人公の息子が海兵隊に志願して、故郷を去った後、どこへ向かったのかが判ったのは、
戦死公報が届いたときだというエピソードがありました。
戦死の地は「小笠原」氏と同じ硫黄島です。

それぞれの国で、ささやかな暮らしをしていた若者達が
「正義」の名のもとに相手を殺さねばならない
「戦争」の現実にマスターは怒りを抑えることができません。

それゆえ、「松たか」主演の原爆ドラマの時代考証が
マスターには気になってしょうがありません。

なお、「連邦警察」という映画。リンク先の解説とはやや違い
第二次大戦を挟んだ秀越な家族大河ドラマでもあります。
興味のある方は鑑賞願いますといいたいのですが。
ソフトは出ていないようですね。


イメージは「連邦警察」の英和対訳シナリオの
表紙です。ビデオ普及以前はこういうのがよくありましたね。
ダイアログのみ収めたLPレコードなんていうのもありました。
今は昔の話。
連邦
2010年1月14日追記
「連邦警察」はビデオは出ているようですが、DVDは未発売です。
なお、この記事もfc2移行後にアクセスがありました。
「小笠原~」のエピソードがテレビで紹介されたようです。

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ドイツの「プライベート・スヌーピー」達(画像復旧・差し替え)

さて、スヌーピーはなんと「Dデイ」に参戦しています。
有名な写真「沈み行く兵士」。あれはスヌーピーだったのです。

すぬーぷ


(
過去ログでスヌーピーが母親に手紙を書いていますが、近現代の兵士達は母親・家族達に
手紙を書き続けました。
そしてそれらはまず検閲を受けるので、限られた表現でしか書けませんでした。
しかし、残された手紙はそれゆえにかえって私たちの心を揺さぶるものとなっています。

スヌーピーは「生還」したようですが、同じ文面を書いた兵士達には、
クリスマスには帰国どころかアルデンヌの森で、ドイツ軍の直撃弾を受け、
あるいは戦車に踏み潰されて生を終えた兵士達も少なくなかったでしょう。
その遺族達にとって彼等の残した手紙は、彼等がこの世に生きた証として、
遺族達も黄泉に旅立つまで大切に保管され読み返されたでしょう。

一部の遺族達は手紙の公開を決意し、それらの書簡集は各国で発行されています。
かって、戦前の岩波新書赤版に、
『ドイツ戦歿学生の手紙』 ヴィットコップ著 高橋健二 訳という本がありました。
何故か、マスターはこの本の題名を幼少時から知っており、いつか読みたいと思っていました。
しかし絶版ということであきらめていました。
昭和の終わり頃、岩波書店では絶版となっていた新書からいくつかを再版しました。
そのときにこの本も再版され、マスターは入手、読了いたしました。

第一次世界大戦に参戦したドイツ学徒兵の書簡録といってはそれまでですが、
それこそ1914年夏に開戦した戦争が「クリスマスには終わるだろう。」と
ヨーロッパの誰もが思っていた頃の戦死者から、「平和の近いことを期待している。
従って誰も最後になって戦死することを欲しない。」
「こんなに比類なく勇ましく戦った国民が滅びなければならないということは信じられません。」
と1918年秋に書いたあと戦死した兵までの書簡集は、
まさに期待通りマスターの心を揺さぶりました。

面白いのはこの本の原書はなんと第一次世界大戦中から発行されていたそうです。
勿論、何回も編集され、大戦終了、ワイマール、そしてなんとナチス時代まで発行されています。
邦訳の底本はこのナチス時代の物のようですが、決して戦争賛美ではありません。
ドイツ人の一面をみる思いがします。
(今回目を通しましたがやはり抄訳のようです。カットされた書簡が気になります。
初版が1938年ですので。)
とりあえずはご一読願います。
古本屋、学校や公共の図書館で比較的容易に入手できるようです。

ドイツ戦歿学生の手紙 (岩波新書 R (22))ドイツ戦歿学生の手紙 (岩波新書 R (22))
(1988/11)
ヴィットコップ

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山口智子の実家について

最後に閉館記事です。

山口智子の実家のホテルが経営難で閉館
女優、山口智子(40)の実家である栃木県栃木市の「ホテル鯉保」が8月31日をもって閉館した。
社長だった実父の雅平さん(享年65)が今年5月に死去。同所で営まれた葬儀で山口は、
親族代表として「これからもどうぞここにいらしてください」と話していたが、
総額8億円を超える負債を抱え経営が難しくなっていた。

閉館について同HPでは「変わりゆく時代の流れの中で大きな柱を失い決意するに至りました」
と綴られており、雅平さんが亡くなったことが閉館の大きな理由と見られる。



地方の地場資本はどこも大変です。
マスターの親戚も、一世紀続いた問屋業をこの春廃業しました。
「潰れるよりマシ。」がその理由。山口さんの実家と同じです。
でも、山口さんはデビュー当時「いずれ実家を継がないといけないから、
将来は芸能人以外と結婚しないといけない。」とインタビューに答えていたのに。
「売れすぎて」しまったのも、一因ですね。
智子さんの女将姿に未練たらたらなのはマスターだけでしょうか。


2009年1月11日追記
その後建物は取り壊されて、更地になりさらにマンションが建つようです。
建ったかもしれない。

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つり銭に二千円札所望その2

先程、買い物をしたら、千円札四枚のつり銭が返ってきた。
カウンター形式の店舗でレジが奥にあるようだが
「千円札が多すぎるので二千円札で釣を両替してください。」といったところ
「すいません。二千円札はありません。」と断られた。

やはり流通していないのか、それとも両替が面倒なのか。
真相は闇の中。




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山口智子の実家に泊まった。お父さんはナイスミドルだった・・。5

ながながと、思い出話をしたが勿論これは彼女の実家が廃業したという
ニュースを受けてのことである。
リンクしてもすぐに記事は非公開か消えるので以下引用。
まずは、今年5月のお父さんの死去記事から

 山口、ショック-。女優、山口智子(40)の父親、山口雅平(まさへい)さんが
10日未明、栃木市内の自宅で心不全のため死去していたことが
11日、分かった。65歳だった。
山口は最期を看取ることはできず、家族からの知らせを受けてすぐに駆けつけ、
悲しみに暮れているという。

 古くから雅平さんを知る知人によると、雅平さんは、かなり以前から
糖尿病を患っていたが、今回の死亡との因果関係はわかっていない。

 雅平さんは、山口が小学生のときに離婚。山口を引き取り、祖母とともに育ててきた。
山口が実の妹と離れ離れになった分も、雅平さんは、山口に愛情を一身に注いできた。

 山口が青山学院短大2年生のときにモデルにスカウトされ、芸能界入りした後も、
時間の許す限り電話で近況を報告し合い、
ときには親子で旅行に出かけるほど仲が良かった。
常に娘を気遣う父親に対し、山口も厚い信頼を寄せてきた。

 平成7年に、山口が俳優の唐沢寿明(41)と結婚するため、
2人で雅平さんのもとを訪れたときも「うれしい、の一言だよ」と即了承。
満面の笑みを浮かべて、「幸せは2人で作っていくもの。
手を取り合って前向きに生きてほしい」とエールを送るなど、
娘の幸せを心から願っていた父親だった。
雅平さん自身も50歳を過ぎてから同年配の女性と再婚していた。

 13日に通夜、14日に密葬、21日に本葬を行う予定。


いろいろ、あのお父さんも苦労されていたのですね。
でも、確か唐沢氏と結婚する時は「娘が芸能人と一緒になると
ホテルの後継ぎがいなくなる。」と反対していたと
当時女性週刊誌が書いていたと思います。マスターの記憶違いでしょうか。
 今の山口さんのマイペースの活躍状況からみると、
栃木に戻って女将業兼業でも構わないと思いますが、
それでは唐沢氏の「男が立たない。」と、周囲が判断したのでしょうか。(続く)





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