進め!2000円札

二千円札の利用を呼びかけています。画像欠落記事はコメント・  メールにて遠慮なく連絡ください。気付き次第復旧致します。

【再設定・追記】七月の努力目標

FI2621751_1E.jpg

♪い~までは指輪も ま~わるほど やせて やつれた お前の姿♪
(くちなしの花より)の季節となりました。
こういう歌は未来永劫、音楽の教科書に載せるべきではありません。
しかし、もしかしたらそのうち載るかも。

イメージは「くちなしの花」です。七月の花だったんですね。

山登りの部室のそばに、この木が植えてありました。
確かに今時分このような花を咲かせていました。
トレーニングのあと、ふとこの花の前で、同期と
前掲の「名曲」を歌いました。

しばらくして、学生部を通して某教授から「抗議」がきました。
「アカデミズムにふさわしくない歌を歌うのではない。」と。
この木の脇には部室ばかりでなく、教授たちの研究室もあったのです。

まだ、「教養主義」の薫陶を受けていた世代が
現役だった時代の話です。


今月もマスターは2000円札の広報マンとして活躍します。
皆様、どんどんこのブログの存在を知らない人達にもお声をかけて
2000円札活性化のお手伝いをお願いします。
おかげさまで当ブログも延べアクセスが五万件を超えました。
キリ番プレゼントをしたいのですが、準備ができていません。
多分なにもしないでしょう。
マスターもユルーイ性格なのでご勘弁のほどを。


これも、ひとえに旧逓信省のお役所仕事から脱却し、ユーザーの希望を
先取りした旧電電公社様のメンテナンスのおかげです。
先月のワールドカップ中の大メンテには感動しました。
その後、拙ブログのブックマーク数が減少いたしました。
β版としての使命を意識したすばらしい選択です。
そのうち週末でも利用してファンダーの前島密先生の故地を訪ねましょう。


今月の目標

1.「2000円札」「二千円札」「2千円札」「弐千円札」に言及しているブログに
 積極的にTB、コメントを掛けて、少しでも2000円札への
 理解者を増やす。(すでに昨年10月中旬から実施中) 

 これは、ポータルサイトのサーチエンジンを利用しています。
 最近更新順にチェックをしています。当然チェック漏れも
 発生しますが、ご容赦ください。
 ほんとうは、時間を喰うのでそろそろやめたいのですが
 最近は「がんばってください」という、手ごたえのある書き込みを
 してくださる方が多く、励みになります。


2.2000円札に好意的な反応、マスター同様積極使用されている皆さんの
 ブログは、積極的にブックマーク・リンクを張らせていただきます。
 
 同好の士を少しでも紹介することにより、2000円札への理解がより
 深まるものと考えています。また、「アンチ派」の皆様には、「怖いものみたさ」
 の欲求を満足させることでしょう。
 2000円札フリークの方は「ブックマーク」「リンク」欄も必ずチェックしてください。
※ なお、「ドブログ」以外のブログの方は、もしご自身のブログに
 私のコメントに対するレスを書き込んだ場合、
 マスターのところへ、見てくれるようにご一報願います。

 2000円札の入手方法については、こちらをクリックしてください。

3.記事の内容に関係なくても、最後は自作の俳句で締めます。 
 (例外もあります。ご了承ください) 
 投句の結果は、拙ブログで順次発表しています。
 六月もサボってばかりです。申し訳ありません。

4.毎日更新 
 ほぼ達成しました。

 
なお、このブログの趣旨に合わないと判断したコメント・トラックバックは
無断で削除いたします。迷惑系、広告・宣伝系の事です。ご了承願います。

 それでは。

2013年3月5日追記
Doblog閉鎖時の移行データスリップ分です。
前島先生の旅はいまだ実現していません。週末を使えば良いのにね。
メモしておきます。
毎日更新もここの所実施していません。すいません。

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平日昼間から上野探訪

さて、マスター諸般の事情でタイトルの行動をとりました。
まずは御徒町の「中田商店」。

子供の頃、少年漫画誌の裏表紙によく広告が出ていました。
「いつか上京する日が来たら必ずここを訪れるのだ。」と
小さな拳を握り締めていたものです。

しかし、「上京」の「志」が低いなー。

軍装品と登山装備品は使用目的に共通点が多く、
近くの「アートスポーツ」より、たとえば
セーターなどはこちらのほうがよい物が入手できます。


お昼時になったので、近くの「銀座ライオン上野広小路店」に飛び込みます。

ランチメニューは用意されていますが、ビアホールという
イメージでしょうか、12時台でもお客は少なくガラアキです。



早速「生ビール大」を注文。
でも「大」にしては小さい。
肴はソーセージセット。



ビールもソーセージもすぐになくなり、
枝豆とその他もろもろの酒を追加オーダー。
枝豆は冷凍ものではないので、旨みが違います。
チョット気分のよくなった平日午後でした。



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某メガバンク支店の大場久美子似のカウンターレディの前で・・・(画像復旧)

さて、月に一度の二千円札両替日。
月末、週明けの銀行は住宅地でも大混雑。
最近は小遣いばかりだけでなく、
一部生活費も二千円を使用することになったので、
両替枚数もバカになりません。

今回のカウンターレディーは大場久美子似であります。
大場さん同様マスターと同世代か、

『若いころこの銀行で働いて、行内結婚でもして、子供も手がかからなくなった
ので、昔とった杵と再雇用(厳密には派遣会社)してもらったのかな。
でも旦那さんうらやましいねー』と、
かっての日活ロマンポルノの決まり文句を思い出し
妄想に耽りながら、渡されたウン十枚の二千円札をチェック。

枚数が合わない・・・。 レディ久美子も緊張します。
もちろんマスターも冷や汗タラタラ。

マスター三度目の数えなおしで、ちゃんと枚数が合っているのを確認。
マスターもレディー久美子も、お互い微笑みながら目を合わせます。
もちろん、妄想を抱きながら金勘定をしたマスターが悪いのですが。
彼女の名札の名前を確認するのを忘れました。

やはり何事も機械相手より、Face to Faceがいいですね。

FI2621782_2E.jpg

イメージは最近の本物のミセス大場久美子です。
うん。似ている。というより銀行の「レディー大場」のほうが良い。

なお、マスターの学生寮時代の先輩は彼女と
「共演」しています。この件は後に触れるでしょう。


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こんな映画を見た「キリング・フィールド」

関連過去記事

ルーツを19世紀半ばにもち、人々はそのコミュニティの中で
「自由と平等」を享受するはずだった。

しかし、現実の運営は理想とほど遠く、主宰者の一方的な「指示」の下
「束縛と抑圧・粛清」が繰り返され、「亡命者」「国内反逆者」「地下潜行」
者が続出。それでも「主宰者」は「理想の実現」のために、新たなる「政策」
を次々と出し続ける・・・・・。

どこかのブログ運営会社とそこに集うブロガーのことではありません。
ご安心のほど。


マスターがポル・ポト政権の「原始共産制」の実行による大虐殺を
具体的に知ったのは、当時日本語版が出ていた「リーダーズ・ダイジェスト」
誌の名物記事「巻末特集」の「血の海と化したカンボジア」であった。
この記事については映画中でも少し触れています。
主人公の一人のジャーナリストに「リーダイの記事は本当だと
思いますか。」と別の記者が質問しています。
当時の日本の新聞・マスコミはポルポトの「原始共産制」の実験を
むしろたたえていたと思う。
今もそうだが「王様は裸だ!」と言い切るマスコミが日本にはないのは
悲しいことだ。小悪だけ摘み上げるのに熱心で、大悪には目をつぶったまま。


劇場公開時にしか見ていないので、大方は忘れたが、
カンボジアの共産化で国外に逃れたジャーナリストがかって一緒に
苦楽をともにした助手の身を案じる。そのころその助手はというと・・・。

映画の冒頭部分ではロン・ノル政府軍のジープのラジオから
ウイングスの「バンド・オン・ザ・ラン」が流れており、
観客の感情を公開当時から約10年前の世界にタイムスリップさせる。


多くの生死の境を潜り抜け、タイ国境の難民キャンプにたどり着き
助手と「感動の再会」を果たしたジャーナリストのクルマから
「イマジン」が流れる。

ほかのレビューでは触れていないが、エンドロールでは
ガムラン(インドネシアの民族楽器)を使用した
「アルハンブラ宮殿の思い出」が流れ、こちらのほうがマスター
には印象的である。

「イマジン」使用については、製作段階から論議が絶えなかったそうだが
スネークプレビューを繰り返しアンケートの結果、「イマジン」が
流れるほうが観客の満足度が高いというので採用したそうである。

現在、ソフトで見る観客の目から見ると「クサイ」演出だと言い切る人も
いようが、ジョン・レノン暗殺から数年しか経っていない状況であることを
頭に入れていただきたい。


逆に公開当時の日本のマスコミのレビューは
「この映画を認めるかどうかが、自分の思考が白人化されて
いるかどうかの試金石である。」というのが多かった。

マスターは当時も「大げさな。もっと素直に見るべきだ。」
と思った。現在のレビューには逆に人種・民族偏見について
述べているのはすくない。

もうひとついおう。そのころ生まれていなかったか、物心ついていなかったと
思われる若い世代だろうか。「だから社会主義は悪い。」という
レビューが見られる。

これもおかしい。映画でも触れているように、なぜ人々が
「社会主義=マルキシズム」に走ったかを知らない、知らされていない
人たちの論理だと思う。

イメージは公開時のパンフレットから取らせていただきました。

助手役をこなしたこのハイン・S・ニョールは、
本業は医師であり、実際のカンボジア難民です。
映画同様、自分の身分を隠し辛くも生き延びました。
初出演のこの作品で見事アカデミー助演男優賞を獲得。
しかし、その後ストリートギャングの手に係り非業の死を遂げます。 合掌。




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切明温泉~帰京 志賀高原からの縦走終了 (画像復旧)

(前記事続く)
さすがに、夕食後部屋に戻ると疲れがでて
21時ころには床に就いた。
標高千メートルのこの地。夜は冷房なしの涼しさ。
川に面した宿は、沢水の音がうるさい。窓を閉めて眠る。

翌朝、起床後、窓から外の様子を見ると激しい雨であった。
沢音がうるさく雨音は聞こえなかったのである。

切1

イメージは部屋の正面窓から見た風景。
つり橋の向こうが発電所であろう。
昨日はこのつり橋を渡って下山。宿にたどり着いた。
廊下に出ると広い駐車場が見える。
切2

車も路面もぬれていて雨量の多さが推測できる。
予約時に確認したが
バスが来ている「和山温泉」まで、
温泉の車で送ってくれるという。助かる。
発車時刻は午前10時。
チェックアウト時刻にあわせてくれたのか。
イメージは建物正面である。
切3


「ふるい建物で・・・。」と従業員は謙遜するが
掃除は行き届いており、好感のもてた宿であった。
運賃代わりに、みやげ物をここで買う。
送迎のワゴン車は10分ほどで和山温泉に到着。
そこから津南までのバスに乗る。バスは10時20分ころの発車。
つまり、バスの時刻に合わせて送迎車を出しているだけ。
なお、ワゴン車に乗ったのはマスター一人だけ。
ほかにも数組の宿泊客はいたが、みなクルマできたようだ。
10時には駐車場からクルマの姿は消えていた。

切4


和山からのバスの運転手によると、あのルートを歩く登山者は
「ひと夏に数人程度。」とのこと。
このところの「長野」の風水害により、どの宿もドタキャン続出で
大変などどきかされた。

長野は広いので、一部地域は大変ですが、
この志賀高原も秋山郷もたいした被害はありません。
風評に惑わされず、長野の旅を楽しんでください。
(これは2006年夏の話です。現在は勿論被災地も復旧しています。)


平日でもあり和山温泉からはマスター一人のみ乗車。
途中で数人が乗車。
マスターを含めて11時45分ころ雨の津南町役場前で下車。
ここから越後湯沢駅までバスがでる。


12時ころ津南町役場前を出発したバスは途中中学生を乗せて
13時少し前に越後湯沢駅着。
「みどりの窓口」で数分後に発車する新幹線の
指定席切符を買うことができた。

切5


乗車するとそこは三人席の真ん中、
両脇は出張と思えるビジネスマン。
気遣いなどまったくせず、マスターは一人
「下山祝い」を行う。

両脇のビジネスマンは申し合わせたように、
寝たふりを始めた。

14時過ぎに雨の上野着。

「山に持っていく装備は、もしかしたら一生使わないものもあるかも
知れない。でもそれが必要なときになければ、死ぬしかない。」

と登山を始めたころ先輩に言われた。

今回は持薬についてはフル回転で、初めて使用したのもあった。

この山を「知った」のは大学時代のゼミ合宿のため登山地図を買ったとき。(過去記事参照
実際に踏破するのに四半世紀の時を待たねばいけなかった。

「山なんて登ろうとして調べ始めて10年、20年たってはじめて登れるもの。」
十年ほど前に、戸隠山であった熟年女性登山者の言葉がよみがえった。

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烏帽子岳山頂~切明温泉(画像復旧・リンク張替え)


注:裏岩菅山から切明温泉までのルートは、
登山道が明確でない部分もあり、
全体に整備も十分でなく、エスケープルートもないため、
入山には十分な登山経験と智慧・体力・装備が必要です。
安易な入域は絶対にしないように。



順序が逆になったが烏帽子岳山頂である。
岩10


晴天。でも雲行き悪し。ここを最後に携帯電話は通じなくなる。
(下山地の切明温泉もダメ。)

鞍部まで降りるころにはバテ症状が現れる。
目をつぶると、まるで夢を見ているように脈絡のない光景が
脳内に広がる。危険である。
コンデンスミルクを口に含むが効果なし。
持参の顆粒ビタミン剤をわずかな水で飲み下す。

意外とこれが効果があり、気を取り直して
先に歩を進める。



やがて道の左側にテントが何張りもできそうな裸地が広がている。
疎林の間にはブルーシートが畳んで残置されている。

「ひょっとしたら水場が奥にあるのでは。」とカンを働かせて
標識もないのに裸地に入り込む。

しばらくすると水場へのルートを示す英文併記の標識が樹に
くくりつけられている。

岩11


こんな天地がひっくり返っているような場所に乗り込む
「外国人」の顔を見たいものだ。

水場は踏み跡をくだり、やがて泥濘が伏流と化した直後
枯れ沢が一段下がった部分から滲出している。
水溜りを形成しているが、表面にはネマガリダケの枯葉やブユも浮いており、
念のためポリタンにつめた水に、
持参した次亜塩素酸ナトリウム、商品名「ピュア」を添加する。


生水もその前に飲んでしまったが、体調悪化は免れた。
「踏み跡」に戻るとネマガリダケはますます猛威を振るう。
体の露出部分は傷つき、そのたびに傷用塗り薬を塗るため
小休止。

その間はハエやブユが衣服やザックにかなりの密度で
まとわりつく。衣服・ザックについている汗の塩分を
狙っているのだろうか。

傷薬を塗り歩き始めると、ブユに刺された皮膚が痒くなる。
今度はかゆみ止めを塗る・・・。

これの繰り返しでロスタイムがどんどん発生。

熊のフンを危うく踏みそうになる。

とうとう背丈を越えるネガマリダケで踏み跡が隠され、
読図とカンでやっと密生地帯を脱出して、
再び標識を見つけた時には、さすがにホッとした。

徐々に高度を下げていく踏み跡。
やがてトゲの生えている下草地帯に突入。
岩13


またもや手足は、トゲの引っかき傷で
何度も塗り薬休止。

足元は登山用のジャージだが、
マスターは暑がりなので上半身は登山用Tシャツだけ。
暑苦しい袖つきシャツは、
この季節、行動中はザックに入れたままで
めったに着用しない。

トゲトゲ下草とジグザグの混ざった、
滑りやすい下り道を延々と歩く。

ペースは明らかに落ちている。

岩14



16時30分ころようやく
切明発電所の巨大な導水管の上部にたどり着く。
樹間から今夜の宿「秋山郷村営保養センター雄川閣」が望める。
あそこまで30分くらいか。飛び出して見えるのは浴場だろう。

突然、映画「キリング・フィールド」で、カンボジアから脱出しようとした
主人公がようやくタイ側の難民キャンプを眼下に見出した時の
シーンがフラッシュバックした。

一時間後には一風呂浴びている光景をイメージしながら
最後のジグザグ道を下る。
17時過ぎ雄川閣到着。何とか天候は持ち助かる。

夕食には、あのネガマリダケのタケノコが供される。
本日の恨みを込めてビール大瓶と日本酒二合で成敗する。

2010年2月20日追記
なおこのコース、他のサイトを見ると1990年代前半に
数名のパーティーがネガマリタケとカヤトで道を失い
ニ日間のビバークをするという遭難騒ぎを起こしています。
入山は十分に注意してください。
「雄川閣」は名称・組織変更していますが旧称のままにしました。

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岩菅山山頂小屋~烏帽子岳からの急降下(画像復旧)

五時起床。寒い。これから切明温泉に向けて縦走開始。
イメージは岩菅山山頂から見る草津白根山方面。
岩1
北側へ目を転ずると、これから登る裏岩菅山がよく見える。
岩2



空の雲の様子は夏というより「秋」の様相だ。


ほぼコースタイム通りに裏岩菅山山頂着。

山頂の掲示板には。
これから先は山中一泊の装備が必要
おどろおどろしい文言が並んでいる。

岩すげ2

注:裏岩菅山から切明温泉までのルートは、
登山道が明確でない部分もあり、
全体に整備も十分でなく、エスケープルートもないため、
入山には十分な登山経験と智慧・体力・装備が必要です。
安易な入域は絶対にしないように。



しばらく疎林上をゆったり歩くと、左側にささやかな池塘と湿原が
顔を覗かせてくれ、早くも高ぶり始めた精神を安らかにしてくれる。
岩す3
中の岳のふもとを過ぎ、岩場を超え(ロープ・鎖はない
がホールド・スタンスは豊富なので、沢登り経験者ならば
容易に通過)烏帽子岳を過ぎる。
ここからは先のルートが見渡せる。
岩す4



しかし、ここからルートは悪化。
足元のネマガリダケの枯葉が踏み跡程度の登山道を
覆い隠し、しかも粘土質で傾斜がかかっている「道」は
しばしば転倒を引き起こす。

下り道は急で緊張が全身を支配する。
文字通りの冷や汗のため水の消費量が予想を超え
とうとう200ccを切る。

水制限もありいよいよバテ始める

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岩菅山避難小屋で 松山千春との一夜(画像復旧・追記あり)

入り口から見た避難小屋内部です。

言わす下1

反対側に開かない窓が切ってあります。
通路となっている土間にはストーブも置かれて、
秋から春にかけて、薪さえあれば快適に過ごせます。
(もっとも他のサイトを見ると真冬は雪に埋もれて入室不可能だそうです)
床は板の間にゴザやブルーシートが敷いています。
避難小屋としての居住性は中の上でしょうか。
ギュウ詰めで20人くらい。十畳くらいの居住スペースです。
地元の皆さんが絶えず手入れをされている様子が伺えます。
机には、来訪者名簿がおいてありました。
万一に備えマスターも記入をしました。
天井にはロープが張りめぐらされていて、汗ばんだ登山専用の
耐寒Tシャツを干しています。小屋やテント内、下山後はもってきた
「着替え用下着」で過ごします
言わす下2

18時を過ぎると、小屋の中は暗くなり。
好むと好まなくにかかわらず「キャンドル・ナイト」となります。
この日の夕食。
前菜 カシューナッツ。ビーフジャーキー。
メインディッシュ レトルト赤飯。
マルコメ即席味噌汁田舎風味。
酒肴 いわしの蒲焼。
酒は持参したウイスキーの沢水割りで通します。

個人的にはウイスキーは好きではありませんが
担ぎ上げることを考えると、高濃度のアルコールである
ウイスキーを持参せざるをえません。
イメージはメインディシュがすみ、食後酒に入っているときです。

一人や仲間だけのときはラジオに耳を傾けます。
この日はオールスター戦でしたが、雨で中止。
そちらのほうがラジオ番組はバラエティに富んでいます。

ニッポン放送をキャッチしました。
「松山千春デビュー30周年ライブ音源特集」を放送中。
♪田舎者と悟られぬように、コーヒーを3杯続けて頼んだ~♪
(田舎者云々より胃が悪くなるのじゃないかとそちらが心配。)
♪黄色い電話を探して親元に電話を思わずかけた~♪

(今の十代の人は、かっての「コップ酒」「無言の帰還」同様、
「黄色の電話」ときいても「ただ電話が黄色いだけでしょう。」と思うかもしれない。
「黄色の電話」に込められた意味は近くの年長者に聞いてください。

歌詞はうろ覚えです。曲の題名も忘れました。

番組は21時終了。でも眠くならない。普段の山中泊では20時頃には眠くなる。
そうか今日は行動時間はわずか3時間半だったからあまり疲れていないのだ。

22時過ぎてからようやく眠くなる。寝袋を引き出し就寝。

言わす下3


あけて4時起床のはずがやはり起きられなく、
5時少し前起床となる。外は夜が明けている。
朝食はレトルトのお粥、インスタント味噌汁。
肉じゃが缶詰。 残余水500cc。
次の水場までぎりぎりだろう。
今日は、多分10時間を越える長丁場だ。
6時過ぎ小屋を出発。

2010年2月15日追記
その時の松山千春の歌はいまは判ります。「ふるさと」。
当時流行ったそうですがマスターは覚えていません。


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岩菅山~切明温泉縦走2(画像復旧)

登山道へ向かう前に腹ごしらえをしようと、
案内所で昼食を出してくれる宿を聞いたが
「さあ。この辺では。」とつれない返事。さらに
「蓮池にはありますが・・・・。」

あのね、何でわざわざ戻らないといけないの、
日本社会に見られるハード優先ソフト不毛の構図が
ここでも露出している。


興奮したので、空腹感もなくなり、旅館街が切れたところから
スキー場を横切る形で登山道に入る。
11時30分入山
岩1

やがて、登山道は右側に水路が流れる水平歩道に変わる。
左側樹林帯の下は車道と旅館街。
大学のブラスバンド部が合宿をしているのだろうか、
ブラスバンド曲が途切れ途切れに聞こえている。
岩2

水平歩道が終わると「アライタ沢」を桟橋でわたる。
この沢は「グリーンタフ」と呼ばれる海底火山によって生成
された岩盤が露出している。この辺も海底であったそうだ。
ここが事実上本日最後の水場
ポリタン・ペットボトルにあわせて2リットルを給水。
今夜から明日午前中くらいは間に合うだろう。、
天気は晴れ続けており、日焼け止めクリームを塗り、
サングラスに替える。
岩



ところで北千島列島にも「アライト島」という名前の島があるが
この沢の名前と関係があるのだろうか。

樹林帯が終わり、他の登山道と合流後荒れた急坂を登る。

14時50分。岩菅山頂に到着。
古くからの信仰の山である。
岩4

山頂から、東側を望むと、半地下式の石室の避難小屋が見える。
今夜の宿である。中に入るが誰もいない。今夜は多分一人だろう。
トイレは写真左側小屋からやや離れて設置してある。
浸透式だが、無人なので致し方ないだろう。

岩5


なおこの小屋は大正時代から、地元有志によって設営されており
日本の登山小屋としては屈指の古い歴史を持っていると思われる。(続く)

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志賀高原「ホテルむつみ」の思い出 女子大生と・・・・。 (画像復旧)

前記事の「ホテルむつみ」の四半世紀前の姿です。ほぼ同じ場所から撮影しています。
むつみ1

建て直しをしたのでしょうか。「スキー宿」の面影が残る、昔の正面の方が今となっては懐かしい。

で、よく前記事の現状と比較してみると。
①玄関階段、玄関左脇のスキー置き場が同じ。
②一階の窓の位置が同じ などの理由から
単なる改築であるようです。
横に回ると奥の階段が続く宿泊エリアは外装を直しただけでまったく四半世紀前と同じでした。

ここで何をしたのかというと、ゼミナールの夏合宿を毎夏行っていたのです。
(艶っぽい話でなくて申し訳ありません。)
(1980年夏撮影)
<
英国紳士を思わせる教授(写真右)と、30代はじめのイキのいい<大学院生のチューター(写真左)に、
一日中みっちりと、経済史の「特訓」をしていただきました。
この写真はすでに日付が変わってからの撮影だったはずです。
なおこの「チューター」。現在は某国立大学の教授をしています。
(1980年夏撮影)
むつみ2

もっとも、一日缶詰になっていたわけではありません。
ある年は、車を連ねて、当時未舗装の道をはるばる野沢温泉まで出かけました。
(1981年夏)
むつみ3

マスターの最終学年になると、ようやく経済学部にも女子学生が増えて
それまでの温泉めぐりから一転、テニスに興じました。
男子学生が上半身裸でいます。
「今」の視点で見ると<若いうちは、女性の前で何の衒(てら)いもなく裸になれたのですね。
みなそういうカラダとアタマだったのです。
やんちゃさと未熟さが同居しながら大人の世界を垣間見ていたあの頃は、やはり「眩しい季節」でした。
(1982年夏撮影)
むつみ4

でも、変わらなかったのは最終夜の打ち上げコンパ。
(『コンパ』なんて単語、久しぶりに使いました。)ホテルのオーナー・バイトさんも一緒に
夜半まで飲み明かしました。(1980年夏撮影)
むつみ5


首都圏や地元長野県出身者は、教授をはじめとしてクルマに乗ってきたものでした。
でも、だれも「真っ赤なファミリア」を乗り付けてくる人はいなかったのが残念です。

当時の面影はなくなりましたが「ホテルむつみ」前で、そんなことをあれこれ思い出し。
再び、無人小屋泊用の重装備のザックを背負い、登山道へ向かいはじめます。

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岩菅山~切明温泉縦走1(画像復旧・リンク外し・追記あり)

7月22日早朝。
上野駅から長野新幹線に乗車。
予想では入山中は曇り。
関東地方はそのとおりの天気だったが、
トンネルを抜け軽井沢に出ると
アッパレ日本晴れ。
乗客から思わず歓声が上がる。
終点長野で下車。
イメージは、乗ってきた新幹線を長野で撮影。
志賀1


長野からは志賀高原中のバスターミナル蓮池まで
毎土曜に無料バスが運行中。
早速利用させてもらう。イメージはそのバス。
志賀2

乗車時に切符(?)を二枚渡される。
一枚は蓮池下車時に料金箱に入れる。
もう一枚は蓮池乗り換え後の最終下車地を
運転手に聞かれ、その停留所名を運転手が
書き込む。乗客の行動調査でもするのであろうか。
バスは高速道路に乗り、湯田中で高速を降りたあと、
オリンピックのためすっかり様変わりした
志賀高原への道を快適に登っていく。

やがて蓮池に到着。一枚目の切符を料金箱に入れる。

20分ほどの待ち合わせで、「奥志賀高原」行きのバスに
乗り込む。イメージはそのバスです。
志賀3

目的地「一ノ瀬」で下車の際、カネを出そうとすると
運転手はマスターの手をさえぎり
「お金は要りません。その黄色い切符だけで結構です。」
つまり、片道二千円近くがタダになったのである。

これは他の山域で言えば
「茅野~美濃戸口」や「水上~谷川ロープウェイ」
がタダであるようなものだ。
とかくスキー場のイメージが強い志賀高原に
避暑・ハイキング客を呼び込もうとする
現地側の意気込みがうかがえる。

ここも長野。バス停脇の案内所には
しっかり長野県知事選のポスターが掲示されていた
志賀4

さて下車後マスターはあるホテルに向かった。
それは「ホテルむつみ」という
イメージはその「ホテルむつみ」である。

志賀5


このホテルにはマスターの学生時代のうちの
三年間の思い出が詰まっている。
今回は独りで訪ねたが、
以前は車にのり、あるいは急行で長野まで向かい・・・。
どうゆう思い出かは待て次回記事

2010年2月14日追記
この山行記はfc2移行後もアクセスが絶えません。
ヘンな山域で記録が少ないのでしょう。当面これを復旧します。
なお「無料バス」関係はリンク切れなのでリンクを外しました。あしからず。

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