進め!2000円札

二千円札の利用を呼びかけています。画像欠落記事はコメント・  メールにて遠慮なく連絡ください。気付き次第復旧致します。

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六月の努力目標(画像復旧)

皆さんお元気にお過ごしのことと思われます。
6月となりました。
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イメージは6月の花としては
あまりにも有名なアヤメです。

今夏もまた100万人のキャンドルナイトの時期となりました。
マスター家は近くのイベントに参加しようと思っています。
今月もマスターは2000円札の広報マンとして活躍します。
皆様、どんどんこのブログの存在を知らない人達にもお声をかけて
2000円札活性化のお手伝いをお願いします。

おかげさまで当ブログもアクセス数が増え続け
延べアクセス数が28万件を超えました。
お立ち寄りいただいた皆様に、改めて感謝いたします。


今月の目標

ここしばらく、マスターは多忙です。そういうわけで
「二千円札サーチ」は中止させていただきます。申し訳ありません。
代わりに二千円札に関する情報をお持ちの方、積極的にコメント・
トラックバックをお願いいたします。
お礼に、特に断りがなければ、Doblogユーザなら、ブックマークを
他のブログ・サイトの方はリンクをさせていただきます。
よろしくお願いいたします。 


なお、記事の内容に関係なくても、最後は自作の俳句で締めます。 
 (例外記事もあります。ご了承ください) 
 最近、句会に投句していません。選句発表は休止します。

コメント・TBを不快に感じた方は、当方に無断で削除してかまいません。
それから、 このブログの趣旨に合わないと判断したコメント・トラックバックは
無断で削除いたします。迷惑系、広告・宣伝系(アフィリエイト)
の事です。ご了承願います。


メールは1212tokudaraka(半角アットマーク)mail.goo.ne.jpへお願いします。
(メール非表示にしたら迷惑メールは減りました。)

うらめしき世と懸け離れアヤメ屹(た)つ

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今月の2000円札両替

[関連したBlog]
先月と同じ第二地銀を利用。
なんと混んでいる。10人待ち。
30分近く待たされて、帰社時間に遅れそうになる。
担当は先月の若い女性ではなく、
もう少し年長の太った女性。
でも、業務処理スピードは若い女性のほうが速いようだ。
こういう「ねじれ」状態は職場の中では必ず問題になります。
と、ついオヤジ視点になってしまいます。


テレビより拝むや富士の山開き

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弥山「登山」。 紅葉まんじゅう あなごめし(画像復旧・追記あり)

さて、ロープウェイは一度乗り換えて
終点の獅子岩に到着する。
ここからでも広島・江田島方面の展望は十分楽しめる。
しかし、大枚を叩いた身。さらに山頂を目指すことにする。
山頂へは30分位とガイドブックにも、パンフにも
書いてあるので歩き始めたら、完全な山道で驚く。
遊歩道を想像していたのでショックであった。
連れ合いはすね始める。
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連れ合いをなだめながら、
ようやく「消えずの火」がある
求聞持堂にたどり着く。
一応、山頂までの道を偵察するが
相変わらずの険しい道なのでここでやめる。
登山目的で来た人以外の一般観光客は
ほとんどここで折り返しているようだ。
帰り道にハイヒールを女性が履いている
カップルに二組もすれ違ったが、
みんな「騙されている」のだろう。
関係者には御一考願います。

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ロープウェイで下山。
あとはフェリーまで歩く。
途中商店街に立ち寄り
Oyaziさんご推薦の「藤い屋」で紅葉饅頭を買う。
仙台の両親からリクエストがあったので、
饅頭と羊羹を宅配便で発送してもらう。
改めてOyaziさんにお礼申し上げます。

出来立ての温かい饅頭を二人で頬張りながら、フェリー桟橋へ向かう。
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駅前の「あなごめし うえの」で遅い昼食。
平日の14時というのに待たされ相席となる。

我々は小丼と白焼き 冷酒を頼む。
あなごは大変ふっくらとして「たれ」もおいしく、
回転寿司のあなごしかしらないマスターには至福の口楽であった。
相席の年配男性二人(学校か会社の先輩後輩のようだ)
は、小丼とビールを頼んだので、酒も入り話が弾む。

二人とも広島に久しぶりに出かけるそうだ。
年長者の叔父さんは原爆で亡くなっている事もあり
これから資料館にでかけるそうである。

15時過ぎ広島駅帰着。新幹線で帰京の路に着く。
やはり岡山までは揺れが激しい。
ちょうどオイルショックの時の建設なので、材料などに問題があったのか。

東京駅で降りて電車に乗り換えると、明らかに皆ギスギスとした顔つきだ。
キオスクの新聞の見出しは国政と株価。
これからは地方分権を進めて「ギスギス」から「ゆったり」へ
時間の流れを変えていくべきだろう。

ドブログに導かれ終ゆ夏の旅

2010年11月19日追記
Oyaziさんのブログが今年八月から更新が止まっています。
この記事のようにお世話になっていますので、心配しています。
近況をご存知の方はご一報ねがいます。

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宮島~厳島神社~弥山(みせん)(画像復旧)

連絡船に乗り、物の数分で対岸の厳島神社が見え始める。
絵葉書などで見慣れた光景だが
やはり本物が目の前に現れると
船内はざわめき始める。


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桟橋に船は着き宮島上陸。
奈良公園同様鹿のお出迎え。
ただ、数は少なく、
「鹿に餌を与えないでください。」の
標識が目立つ。他のブログでは
「鹿せんべい」を与えたとの記事もあるが
鹿害の対応策でこうなったのだろうか。
というわけで、鹿たちはどこかやせて見える。
宮島前駅でもらった案内チラシを目ざとく見つけた鹿は、
マスターの手からチラシを咥えさりあっという間に食べ始める。
空腹なのだろうか。
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厳島神社境内に入ると
平日だが結婚式の記念撮影が
行われていた。
今は洋装全盛だが、
やはりここでは和装ですね。
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神社の舞台越に
海中に建つ鳥居を望みます。
マスターはこれで
「日本三景」の全てを訪れました。
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この後宝物館を見学。
小さいし有料だが折角ここまで来たのだから
見た方がよいでしょう。

さらに弥山(みせん)へと向かいます。
山登りの装備も、時間もないので
ロープウェイを利用します。
ここも平日なのにそこそこの行列。
休日の混み具合はいかほどか。

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弥山という名の山はマスターは以前登っています
やはり神仏習合の濃い山です。
詳しい謂れがあるのでしょうか。

広島に行く旨父に電話で伝えたら。
「弥山まで足を伸ばせ。海兵時代演習で登ったが
普段威張っている先輩たちが、皆バテて
俺が先に登ったのは愉快だった。」
といわれました。

幼年学校という「抜け道」があった陸軍ほどではないが、
海軍兵学校生徒も、その頃は父親が海軍士官で
湘南育ちのお坊ちゃんが多かったそうです。
組織というのはネポティズムにとらわれると
崩壊の路を歩み始める好例だと思います。

父は今話題の栗駒山で山歩きは鍛えていました。
逆に泳ぎは兵学校時代に覚えたそうです。
(続く)

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広島から宮島へ(画像復旧・追記あり)

ホテルの朝食はバイキング式。
地元産の食材が中心ということで和風の煮物が多い。
しっかり1000円分の元を取る。
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ホテルから広島駅まで路面電車。
欧州にある連結型で洒落ている。
宮島まで行くのもあるから、上りは混雑しているだろう。
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広島駅そばの横断歩道脇に
ねじれた形の手押しポンプを車窓から発見。これも原爆遺跡か。
たぶん、広島の町の中をつぶさに歩くと、
このようなささやかな遺跡がまだ残っているのかも知れない。

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ついた広島駅は
仙台同様、立派な駅舎である。
63年前、ホームだけ残ったこの駅で
江田島の海軍兵学校を「中退」した父は
新聞紙を敷いて、千キロ彼方の故郷への
引き上げ列車を待っていたそうだ。
勿論、その面影は見当たらない。
駅から、宮島口までJRに乗る。
約30分で到着するそうだ。

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電車は首都圏では中央本線でしか
見られなくなった、国鉄時代からの車両。
作りががっしりしている。
安上がりのペラペラ電車などに走らず、
いつまでも大切に使って欲しい。

途中から専用線になっている市街電車と並走する。
沿線は新興住宅地となっている。

JRは早いが市街電車はそのまま
中心街に入るので、通勤客は市街電車
を選ぶのではないだろうか。


宮島口駅に到着。
「あなごめし」屋のたれの香りが
駅前に広がっている。

「あなごめし」屋の前を通過して
なぜかJR直営のフェリーへ乗る。
広島駅で買ったきっぷも
フェリー代込みであった。
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天候は晴れていて、平日にもかかわらず
観光客が列をなしている。
休日の混雑振りが想像できる。

青き海望みてしばし汗ぬぐう


2010年11月16日追記
宮島に鉄道はないのに、宮島航路がJR直営なのは、
その前々身の山陽鉄道が宮島航路を開拓して
それを引き継いだためだそうです。

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広島風お好み焼きを食する(画像復旧)

さて、広島名物として有名になった「お好み焼き」だが、
マスター持参の「アルパインガイド山陰・山陽(昭和57年度版)」
にはまったく記述がない。
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恐らく仙台の「牛タン」同様、’80年代から隆盛しているグルメ番組で
紹介されて「全国区」となったのだろう。

蛇足だが、もともと登山のガイドブックだった
「アルパインガイド(山と渓谷社)」は、
’90年代初めまで、同じシリーズで一般観光地向けガイドブックも出していた。

先ほどの路を逆戻り、繁華街へ向かう。
やがて「お好み村」の表示を見つける。
「ちいちゃん」はこのビルの2階だ。
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ビルの脇、パルコ前の広場では
家族単位でのロックンロールの
パフォーマンスが行われていた。
ラジカセの音は静かなもので、
ガンガン鳴らす東京とは大違い。
広島駅に降り立ったときから思っていたが
この街の人たちは、ゆったりとしたリズムで
自分の時間・主張を楽しんでいるようだ。


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ビル2階に上がると
目指す「ちいちゃん」は目の前
だがカウンター席の3分の2は
「予約席」の表示がしてある。
幸い、先客さんが気を利かせてすぐに座れる。

「お好み焼き」と言っても
クレープ状の薄い小麦生地の上にさまざまな具材を載せて焼いたもの。
プロの店員さんが焼いてくれるのをいただく。

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なにぶん「広島焼き」は初めてなのでよくわからないが、期待通りの旨さだった。
Oyaziさんには改めて御礼申し上げます。

予約席は観光ツアーの人達用だった。隣店と二手に分かれて食べるようだ。

長居をする雰囲気ではないので、食べ終わった時点で席を立つ。

慣れればお気に入りの店で長居が出来るのだろうが
所詮エトランゼとしては、この程度の楽しみしか出来ないのが残念だ。


初めての味に舌鼓夏の宵

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広島にいます。 追記。(画像復旧)

さて、レストハウスを出ると
すぐ向かい側に「平和の像」がある。
後ろのボックスには全国から寄せられた
千羽鶴が飾られている。

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この像の謂れは検索すればすぐに出てきます。
数年前の千羽鶴放火事件。
犯人は「就職が決まっていなかったので、
ムシャクシャしていた。」そうですが、
マスターの時代は、職がなかなか決まらない人でも
最後はどこかの「正社員」として決まったのが当たり前。
大変な時代です。
しつこいようですが、建前と本音がこうも乖離してしまえば
このような「個人テロ」はまだまだ続くでしょう。
その相手が、一般人、戦争・迫害の犠牲者、小動物、というのは、
「相手が物言えぬヨワモノならばなにをやってもかまわない。」という
「勝ち組の論理」を踏襲しているので悲しいです。
<

続いて原爆慰霊碑。
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今回の訪問で初めて気が付きましたが
慰霊碑の向こうに原爆ドームが見えるように
配置がされています。
丹下健三氏のベスト設計ではないでしょうか。

一方、この慰霊碑が作られたときは
戦後の混乱が収まっていない頃で、
確か土門拳氏の写真では、裸の子供たちが
この記念碑に登って遊んだりしている写真がありました。


資料館に大人50円で入館。
この値段はマスター持参の1982年版のガイドブック記載と同じである。
いくらデフレ傾向としても、やはりいろいろな人に見てもらいたいための
「価格設定」なのだろう。

展示は7年前に観たときとも入れ替えがあった。
常にメンテナンスを心がけているのには頭が下がる。

こういう史実は後になってから一次史料が出てくるものなのだが
例えば’90年代に知られるようになった「パンプキン(原爆投下
演習用の模擬爆弾。勿論火薬入り)」についても詳しく展示している。

近隣諸国への配慮もあり、被害の悲惨さより、
「なぜ原爆が使用され、なぜ広島に投下されたのか。」を
中心に説明されていた。

ただ、それを強調すると
「毛利家が広島に築城した」「相生橋がT字型で目視目標になった」
「8月6日は早朝から快晴だった。」という風に
よくわからなくなってしまうきらいもある。

連れ合いは原爆投下瞬間まで、この記念館の界隈で
普通の人たちの営みが行われていたことに感慨を覚えたようだ。
あのテレビドラマがDVD化されているので二人で再見しよう。


記念公園をでて、爆心地となった
「島外科」脇の爆心地の表記を見学。
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前回訪問のとき偶然見つけたのを再訪。

その後、繁華街を歩いて広島三越で遅い昼食。
たまたま商品券の持ち合わせがあったのである。





昼食後、飲み屋街をさらに歩いて
本日の宿「コートホテル広島」にチェックイン。

すぐそばの広島市民球場で行われている、
東北楽天対広島東洋カープをテレビ観戦。
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岩隈→マー君のゴールデンリレーを堪能。
「せっかく来たのだから球場に行こうか。」
という話もあったが、旅行疲れもあり
ごろ寝見物となりました。

楽天勝利を見届けた後、祝杯をあげに
Oyazi さん推薦のお好み焼き屋「ちいちゃん」へ出かける。

1000キロの旅路の果ての勝ち名乗り

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平和記念公園案内所に「原爆土産」はあるか(画像復旧)

不謹慎とのそしりは覚悟の上です。「たわけ者」と思ってご覧ください。
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さて、この「平和記念公園レストハウス・売店」の内部である。
ご覧の通り、意外と充実している土産物売り場だ。

絵葉書は勿論あった。
さすがに「原爆せんべい」はなかったが
「世界平和せんべい」は売っていた。
どうも、「原爆」はNGだが、「平和」ならばOK。
「きのこ雲」はNG。「原爆ドーム」はOK。という基準のようだ。

あるはあるは、
Tシャツ、テレカ、携帯ストラップ、ドームの置物、
バッジ類、エトセトラ。

「『世界平和せんべい』なんて駅では売っていないわよ。
ここで買ったほうがよい。」
との連れ合いのご託宣。
これは的中。
製造元の(有)銀月堂のサイトを見ても
なぜか紹介されていません。
中身は普通の瓦せんべいに鳩や、
平和の塔の絵を焼きこんだものです。
平和への祈りを込めつつ焼いているそうです。

さらに数年前、関西学院生が放火して
有名になった「平和の塔」の折鶴。
これを原料にした再生紙文具も売られていた。
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以前、「週刊新潮」で高山正之氏が
「お札には『お焚き上げ』という処理方法があるが
折鶴はどうするのか、勿体無い。」と皮肉交じりに
疑問を呈していましたが、
こちらはエコロジーに即した適切な利用方法
が見つかったようです。

冷房に揺られしドームのTシャツよ

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広島の朝(画像復旧)

福永武彦「死の島」では、主人公は東京~広島間を昼間に発って、
翌午前中にようやく到着するはずだが、
それは半世紀前の話。新幹線では4時間で到着。
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イメージは「ホテルかげた」の室内。
やや狭いが安上がりであるし、清潔だ。
昔は家族経営の駅前旅館だったのだろう。

昨夜は食堂兼飲み屋だったフロント前で朝食。
少年野球のグループがチェックアウトした。

「このあたりも原爆でやられたのかしら」と
連れ合いが問う。
「広島駅もやられたのだから、たぶんそうだろう。
今日行く平和記念資料館に行けば被災図位展示
してあるだろう。」
(資料館にある被災図を見ると確かに焼けていました。)

食事後、我々もチェックアウト。
市街電車が頑張っているのをみて
この電車で原爆ドームまで出かける。
塗装は京都市電の時のままだそうだ。
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イメージは市電の内部です。
天候は不安定で、雨から快晴までクルクルと変わります。
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「ドームまんじゅう・せんべいとか売っているのかしら。」
「せいぜい絵葉書くらいだろう。携帯のストラップもないだろう。」


その名も「原爆ドーム前」で下車。
ドームを拝観。
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マスターは3度目、
連れ合いは初めてだそうだ。

ドームに保護の柵の中に白猫がいた。
野良猫にとっては安全地帯である。


ドームを拝観の後、橋を渡る。
すぐに旅行者用インフォメーションセンターがあり
とりあえずなかに入ってみる。
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梅雨空に悲しく始まる広島路

(中に入って説明を見て知ったが
この建物も被爆して外壁と柱を残すのみであったそうだ。
すぐに修復されて今に至っているそうである。)


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新幹線の車中です。 追記あり(画像復旧)

しばらく更新を休んで申し訳ありません。
少しずつ再開します。

MO2622497_1E[1]

ただ今18時過ぎに東京発の新幹線に乗っています。
今日は夏至ですが、ここでキャンドルナイトをすれば顰蹙モノです。
扉の前に立ち、「今から灯りを消してロウソクを!」と叫べば
念願のワイドショーご出演。

目的地は広島です。
岡山を過ぎてから新幹線の揺れが激しくなりました。
広島駅に22時過ぎに到着。
隣の横川駅そばのホテルかげたに宿泊。(予約済)
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ロビーの小さなレストラン&バーは常連客で結構賑っている。
(イメージは翌朝の撮影)

今日はここで寝るだけである。
これから広島・宮島と訪問予定。

梅雨前の光まぶしき安芸の国

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滝野川信金理事長が辞任へ(段落訂正)

滝野川信用金庫(東京)が、浅香重夫理事長(69)が退任する方向で調整を始めたことが19日分かった。
08年3月期決算は米サブプライム住宅ローン関連の金融商品などへの投資で損失が膨らみ、
403億円の最終赤字に転落。信金中央金庫から200億円の資本支援を受けたため、経営責任を明確にする。


ということです。しかし、一般社員の大リストラのあとで69歳という
いまどきの会社にしては年配の理事長が一人だけ辞任するわけでしょうか。
経営責任を明確にするならば、サブプライム導入に異を唱えなかった役員は
皆辞任すべきです。次期理事長は内部昇進だそうですが、やはりここは
社風刷新の意味でも提携機関から有能な人を迎えたほうが得策であるように
思えます。どうも、傍目からみると経営陣は地位にしがみつきたいように見えます。

「名人事部長」が残っていれば、きっとしばらくは新体制でも残り、
さらに取引先に天下り。十分余禄を食んだあとに、
「リストラされた人の苦難を弔う」とか言って、霊場めぐりでもするのでしょう。

蒸し暑きニュースが続く空をみゆ





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