進め!2000円札

二千円札の利用を呼びかけています。画像欠落記事はコメント・  メールにて遠慮なく連絡ください。気付き次第復旧致します。

父の引き揚げ1(画像復旧)

以前から父の「引き揚げ」に興味があった。
父もアヤシイ年頃なので、今回の帰省時に改めて話をきいた。
何かの記録となるだろうからしばらくアップする。

父は敗戦を広島県江田島の海軍兵学校で迎えた。
やがて、父の期(学年に相当。76期。)は「中退」扱いで
故郷に引き揚げることとなった。8月も20日を過ぎた頃だそうだ。

外地からの引き揚げと違い、
内地の軍学校からの引き揚げは
備蓄資材、以前からの軍用品を
引き上げ生徒に大盤振る舞いするという贅沢なものだった。

各自に大き目のリュックザックが与えられる。
私物は勿論のこと、例えば北海道・樺太出身者には
厚手の被服を一人当たり3着程度与えられた。
「近場」の中国地方・四国・九州出身者には、
大量のアンパン・菓子類が与えられた。
(アンパンは日持ちがしないからであるが、後述の理由もある。)
生徒全員に米と缶詰ー主にクジラ缶ー
(「これは貴重品」だと教官に言い含められた)が配布される。
ザックの上には軍帽と(正確には武器だが)短剣を乗せた。
このおかげで引き揚げ列車では「帰還兵」として優遇されたそうである。

余談だが、その後仙台の旧制二高に編入学したときは
逆に「Soldat!」といじめられる。そのためか父は二高時代の話はあまりしないし、
所属していた剣道部以外の二高のOBとの付き合いも海兵ほどではない。
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イメージは海軍兵学校の「正門」。桟橋の現況です。

冷房を再びつける外は闇

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8月の努力目標

[関連したBlog]
皆さんお元気にお過ごしのことと思われます。
8月となりました。

イメージは懐かしい蒸気機関車です。
ある年齢以上の方は記憶しているように
トンネルでは煙にむせるは、速度(特に勾配地)は遅いは、
エネルギー効率は悪いはで無煙化は当然ですが、
廃止直前から人気者となり、今では各地で客寄せ運行が行われています。


今月もマスターは2000円札の広報マンとして活躍します。
皆様、どんどんこのブログの存在を知らない人達にもお声をかけて
2000円札活性化のお手伝いをお願いします。

おかげさまで当ブログもアクセス数が増え続け
延べアクセス数が30万件を超えました。
お立ち寄りいただいた皆様に、改めて感謝いたします。


今月の目標

ここしばらく、マスターは多忙です。そういうわけで
「二千円札サーチ」は中止させていただきます。申し訳ありません。
代わりに二千円札に関する情報をお持ちの方、積極的にコメント・
トラックバックをお願いいたします。
お礼に、特に断りがなければ、Doblogユーザなら、ブックマークを
他のブログ・サイトの方はリンクをさせていただきます。
よろしくお願いいたします。 


なお、記事の内容に関係なくても、最後は自作の俳句で締めます。 
 (例外記事もあります。ご了承ください) 
 最近、句会に投句していません。選句発表は休止します。

八月ゆえ、マスターも夏休みがあります。介護で半分は消費されます。
そういうわけで更新が滞りがちになります。お許しください。

コメント・TBを不快に感じた方は、当方に無断で削除してかまいません。
それから、 このブログの趣旨に合わないと判断したコメント・トラックバックは
無断で削除いたします。迷惑系、広告・宣伝系(アフィリエイト)
の事です。ご了承願います。


メールは1212tokudaraka(半角アットマーク)mail.goo.ne.jpへお願いします。
(メール非表示にしたら迷惑メールは減りました。)

踏みしめし青嶺を想うだけの齢となり


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喫煙者収容室

マクドナルドに出掛けた。
部屋の片隅が曇りガラスで仕切られている。
そこが「喫煙者用部屋」らしい。窓から外は見えるようだが、
解放感は無いだろう。落ち着いて食事が出来る環境ではない。
日本もここまで来たかと、感慨を覚える。

感情をあらわに総理夏終える


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こんな映画を観た「未完の対局」(画像復旧・追記あり)

国交回復後初の日中合作映画です。
まだ、中国も開放政策を始めた頃だし
国際合作につき物のギクシャクぶりは
否定できません。

そうは言っても、三国連太郎の演技は
瞠目すべきものです。

特にラスト近くのどんでん返しは見ものです。
三国さんは従軍経験があるので
軍隊での振る舞いの演技は勿論堂に入ったものです。
でも、最近の若い役者さんはそうはいかなくなりました。
ある意味、喜ぶべきことかも。

カット照る日差しまぶしく夜業明け

(1982年11月19日 三越映画劇場)

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2011年3月19日追記
アクセスが確認されたので復旧処理をいたしました。
なお、ソフトはVHSはあるようですが、DVD化はされていないようです。

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私たちが国際紛争・難民に出来ること(再設定)

「お前は若者に『行け!』と言って何もしないじゃないか。」と
思われる方は当然いらっしゃると思います。

マスターは日々の仕事を投げ捨て、紛争現地にみんなが行けとは申しません。
要はその人その人の立場で出来る範囲内の行動を起こせばよいのです。
「かわいそうだ。」「何とかしないと。」「こんな事は許されない」と思えば、
1.まずは声をあげること。
 ネット時代なので支援メッセージの送り先はかなり判ります。
2.次にそれらの地域の勉強を始めることです。
 世界のたいがいの紛争地域に関しては概説書・パンフが出ているので
 本屋・ネットめぐりをすれば見つかります。その過程で例えば著者・団体
 に連絡をしてモット具体的な援助方法を教えてもらえるはずです。
 それにより支援当事者たちと知り合いになれます。
 著者・団体への連絡先がわからないときはとりあえず
 版元宛に手紙・メールを書きましょう。たいがい転送してくれます。
3.モノ・カネを送りたいという人は
 カネに関しては「日本UNHCR協会」がとりあえずよいでしょう。
 モノについては、個人レベルだと様々な規格のものが寄せられるので
 あまり歓迎されないのが実情です。


もう20年位前、マスターの勤務先の総務部に大量の段ボール箱が
運ばれてきました。聞けば中身はデザインチェンジで不要になった
ストックされていた作業衣とのこと、早速マスターは総務担当者に掛け合い、
それらの旧作業衣は救援衣料センターを通じてアジアの皆さんに寄付されました。
もし、マスターが気付かなかったらそれらの作業衣は業者が有料で引き取り
廃棄処分されていたそうです。

「時間がない。現地まではいけない。」といわずに、できることから始めましょう。
それが「現地に行く」人や「現地の人」への励みにもなります。


2011年3月19日追記
拍手がついているのが確認されたので、一部修正ののち再アップいたしました。

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「死んで帰ってこい!」2

刺激的なタイトルで申し訳ない。
このタイトルは、先の戦争中、
海軍兵学校へ入学する父に祖父が言った言葉である。
祖母は祖父の脇に端座してただ泣いているだけ。

過去記事の「肉弾」でもまったく同じシーンがありました。
当時の日本の家庭で普通に見られた風景だったのでしょう。

さて、今回のアフガンの報道振りを見ると
この「死んで帰って来い」的発想はまだ日本人の心に残っているようです。
記事をよく見ると「拉致犯は金銭目的であった」という記述があります。
そうなれば政府はひょっとしたらその要求を拒絶したかもしれません。

もし今回「生還」したら、週刊誌は「身代金」の具体額まで
「外務官僚筋の話」として載せていたかもしれません。

一方、「生きて帰った」「イラク三人組」は朝野の批判に晒されます。
もし彼らが「死んで帰った」ら、あれほどの批判に晒されたでしょうか。

日本人の「死者に寛大で、生者に厳しい」発想の悪い面をみた思いがします。


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「死んで帰って来い!」1

始めに伊藤和也さんのご冥福をお祈りいたします。

マスターは未確認ですが、
「かっての『イラク三人組』と違い、彼は立派だった。」
と書いている新聞があるそうですが、それは間違いです。

過去記事で検証しているように、「三人組」も
危険地帯へ出かけるためには考えられる限りの安全策を講じています。
卑しくも新聞記者ならば「三人組」の著作に目を通してから新聞に書いて欲しい。

三人組のリーダー格の高遠さんは、拉致犯たちに堂々と宗教論争を挑んでいます。
それは彼女自身、この地のイスラム教・キリスト教・仏教について学んでいる
証拠です。もし彼女が多くの日本人同様「世界平和のためにこの国に来た。」
と日本の学校で教わる「一国平和論」を唱えたら、殺害された可能性は高かった
でしょう。命のやり取りが当たり前の地帯では、日本の「平和教育」は
話せば話すほど現地では「幼く腹が立つ」理論なのです。
ちなみにバクダッドで殺された香田さんは「一国平和論」をやってしまったらしい。
(高遠さんの著作の書評は未掲載で申し訳ありません。)

こんな形で、いまでもアフガンをはじめとする地域に丸腰で働いている
人たちがいたことが紹介されるのは残念です。

伊藤さんの遺志を継ぐ人が日本からまた現れることを期待します。
日本では「当たり前」レベルのことでも、現地の教育・技術水準では
大変重宝されるものと察せられます。

「海外勤務は会社が与えた長期休暇(日本郵船会長)」
と放言するオヤジたちに、就職の道を閉ざされている日本の若者たちは
ネットや知人のツテを必死にたどって、海外援助の道を選ぶのも一方です。

ご健闘をお祈りします。


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今月の2000円札両替

29日に先月と同じ第二地銀で両替。
月末の金曜日とあって大混雑を予想していたが、
意外や店内は閑古鳥がなくありさま。
並ぶことも無く、先月と同じ「りんごももか姫」似の若い行員から
2000円札を手渡される。今回はこの店では初めての新札であった。
きっと時間に余裕があったのだろう。


ドアを開け再び飛び出す夏の昼


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白馬大雪渓登山道は再開してはいけない(画像復旧)

8月の後半にまたもや(つまりここ数年遭難者が出ている)
白馬大雪渓で3人の死者・行方不明者が出た。

白馬大雪渓は真夏の紺碧の空と雪渓の冷気のなかで半日を過ごすので、
北アルプスでも屈指の人気ルートである。

しかし、所詮谷筋ルート。
本来なら、ろくに休息も取らず一気に通過すべきルートなのだが
それを遵守している登山者は殆どいない。

しかもこの数年雪渓上部の崩落が激しく、毎年のように
落石・土砂崩れによる遭難者が発生している。

3人の遭難後、同ルートは閉鎖されたが、当然の処置である。
原因の徹底究明と万全の対策を講じた後でないと、
(つまり少なくとも2、3年)は一般登山者の入渓は禁止すべきである。

「ハインリッヒの法則」など持ち出したくないが、
登山者が列をなしている時間帯に大崩落が生じてからでは遅いのである。

マスターの意見は暴論ではない。
ネット上で検索して、ガイドや現地精通者ほど「閉鎖」論者であることを
確認していただきたい。

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イメージは雪渓で遭難者を探す捜索隊。
つい見過ごされがちだが、
登山道の修理・保全、遭難者捜索活動は
こうした地元の無名の岳人たちの
努力があってこそのものであるのを
改めて認識していただきたい。

岳友の叫び飲み込む大雪渓

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こんな映画を観た「セーラー服と機関銃 完璧版」「装いの街」

「完璧版」は初回公開版
カット部分を復活させた長尺版。

さすがに四半世紀を過ぎており、
異同について語るほど覚えていません。

「装いの街」は薬師丸デビュー直後
(「野生の証明」撮了後)に
「東芝日曜劇場」で放映されたテレビドラマのビデオ起し。
当然画質は粗く走査線丸出しの代物。

住宅街から、若者の屯する街に変貌した頃の原宿を舞台に、
古くから美容院を営む三田佳子演じる母と薬師丸演じる娘との母子物ドラマ。
薬師丸は不良少女を演じますが、まだ「演技」など
出来ない頃なので完全にミスキャストとなりました。
もっとも、彼女に汚れ役演技など求めてもムダです。
本人がヤル気なしですから。

余談ですが30年間「若者の街」として君臨した原宿も
ついに「アキバ」にその座を譲りました。感慨ぶかいです。

(1982年11月6日 池袋・日勝地下)

蒸し暑き夜を少女は駆けて行き


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猫二匹(画像復旧・追記あり)

ちょっと一休み。
明日から意外な思い出話を。

いつも本屋さんのブックスタンド下で
寝ている老猫が、今日は歩いています。
人なれしているので、カメラを向けると
「ニャー」と言いながらポーズを取ってくれました。
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とあるお屋敷の向こう側
庭の中に猫さんが一匹こちらを見ています。
実はこのお宅はノラ猫さんが
庭に入らないように金網を設けたのです。
でもこの程度の網の粗さでは、
猫さんは簡単にすり抜けます。
皮肉にも、外にいるより安全地帯となっています。
あとはエサやりさんの給餌時刻を待つだけ。
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雷光の走るや野良の居場所なく


2010年12月18日追記
本屋さんは昨年閉店しました。
どうも借店舗だったようで、
猫ちゃんも店主さんと一緒に、この街を去ったようです。
店主さんのお宅で元気で過ごしていることを祈ります。

お屋敷猫ですが、最近近くを歩きましたが確認できませんでした。
地域猫活動が盛んな地域ですので、近くの別な安全な場所で
元気で過ごしていることを祈ります。

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