進め!2000円札

二千円札の利用を呼びかけています。画像欠落記事はコメント・  メールにて遠慮なく連絡ください。気付き次第復旧致します。

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7月の努力目標

皆様元気にお過ごしのことと思われます。
今年も早半年過ぎました。
そして今月19日は2000円札が誕生して10年目を迎えます。
この日は二千円札を積極使用しましょう。マスターも使用します。

これを機会に退蔵している二千円札を使用しましょう。
お店では「お釣は二千円札で」とレジで店員さんに言いましょう。
皆さんの簡単な行動が日本を変えるのです。
2000円札が手元に無くても大丈夫。
金融機関ですぐに両替に応じてくれます。
使用→両替→使用の好循環を起こせば
たちまち二千円札は市場で認知されるでしょう。
沖縄で行われる「2000円札応援祭り」のポスターです。
(ようやくネット上に出てきました)
「ちばりよー」とは「頑張れ」の意味だそうです。
「気張れ」が変化したそうです。

こちらの地元FM局のサイトからは
二千円札応援祭り実行委員会の紹介放送が聴けます。


2000円札祭り
前ブログ(Doblog)閉鎖にともない移転作業中です。
現在、一日新規一記事・補修一記事のペースで書き込んでいます。
fc2のアクセス解析機能を活用して、
移行後にアクセスが確認されたDoblog時代の記事をアトランダムに補修しています。
なお拙ブログの性格上、画像がないと理解・納得できない記事が多いと思います。
「この未補修記事の画像を見たい。」という方は左記メールフォームか、
該当記事にコメントをつけてマスターにご一報願います。
連絡に気付き次第画像を貼り付けます。

修復作業を進めていると、
記事が消失したままだったり
別に送られてきたはずの画像が見つからなかったり
という情けない状態が確認されます。

これが日本最古のIT企業の仕事だと思うと怒りに打ち震えます。
こんな会社にはクラウドなど依頼できません。

この会社、先月は汚職が発覚して「『社内調査委員会』を設置。
この委員会で、本件の事実関係の調査のほか、
他プロジェクトで同様の問題が起きていなかったかの調査、
再発防止策の策定などを進める。『7月末をめどに一定の調査結果をまとめたい』」
そうです。
「言いっぱなし」かどうか、皆で今月末まで監視しましょう。

今月もマスターは2000円札の広報マンとして活躍します。
皆様、どんどんこのブログの存在を知らない人達にもお声をかけて
2000円札活性化のお手伝いをお願いします。
アクセスログで調べると各種サーチエンジンで「2000円札 入手方法」と検索すると、
拙ブログが上位に出てくることが多いようです。

そこから拙ブログを閲覧していただく皆様には、この場を借りてお礼申し上げます。


「二千円札サーチ」はGoogleのブログサーチ機能を利用して、
効果のありそうなブログに書き込みを致します。
勿論、二千円札に関する情報をお持ちの方は
積極的に拙ブログにコメント・トラックバックをお願いいたします。
お礼に、特に断りがなければリンクをさせていただきます。
よろしくお願いいたします。
 
なお、記事の内容に関係なくても、最後は自作の俳句で締めます。 
 (例外記事もあります。ご了承ください) 
 最近、句会に投句していません。選句発表は休止します。

コメント・TBを不快に感じた方は、当方に無断で削除してかまいません。
なお、迷惑系、広告・宣伝(アフィリエイト)のみと判断したサイトからの
コメント・トラックバックは無断で削除いたします。ご了承願います。

メールはサイドバー上のフォームからお願いします。

※なおブラウザがIE以外だと、拙ブログは画像が見られない場合があります。
  この記事ですと「2000円札応援祭り」が見えるはずです。
 もし画像が見えなければIEを利用願います。


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ニュース切り花火を愛でたし宵あらば



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須川温泉から仙台へ

須川湖の帰り、同宿の陸上競技の合宿とすれ違った。
一関学院陸上部の諸君である。
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我々一般客と館内ですれ違うと必ず挨拶をする
礼儀正しく躾けられている諸君である。
毎朝旅館の前で体操をして、ランニングに励んでいるようだ。
何もアメリカや中国に行かなくても「高地合宿」ができるのだから幸せである。
高校生ゆえ親御さんの付き添いも目に付いた。
勝ってもも負けても一生懸命に走った事は、
必ずや一生の財産として彼らに残るであろう。
昨年の合宿の様子が動画サイトに掲載されていたので紹介する。

帰りは9時発のバスである。
発車時間まで間があり、運転手と話す。
「午後の便で来たら一泊。朝の便で戻る。運転手間でローティションが組まれている。」
「温泉一泊食事つきで羨ましく思われるが、慣れるとやはり家で休みたい。」
「地震のときは、崩壊した道路に挟まれて立ち往生した。」
などなど。
客はマスター夫妻だけだった。暑い一関そして仙台に戻る。
仙台では、戦災復興記念館を見物。
学生時代、開館時に見たきりなので再訪。
展示内容があまり変わっていない。でも空襲はあったのだ。(入場無料)
ゴールデンスランバー」でロケされた勾当台公園の野外音楽堂。
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マスター子供の頃からあまり補修されていないようで、古さがめだった。
ホームレスもいる。控え室もないので建て替えるべきだ。
繁華街にある「餃子の王将」一番町店。
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関東以北では初出店と言う事で賑わっている。
我々はそれを横目に「かき徳」へ。
カキフライと刺身のランチ定食をいただく。
荒っぽい牛タンばかりが仙台グルメではない。
丁寧な味も観光客は楽しんで欲しい。

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若人の走脚うらやむ夏盛り

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ツンドラ地帯を見る

翌朝、予想通り筋肉痛を訴えた連れ合いを宿に残して
マスターは須川湖畔の「ツンドラ地帯」へ出かける。
ここも数十年ぶりだろうか。
泥炭地が戦時中の採掘で断層があらわになり
泥炭の生成過程が見られる珍しい場所である。

須川湖畔の脇に駐車場がいまは整備されてその脇から入る。
ここもかっては未舗装の道だったが、
今では綺麗な石畳道に変貌している。
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学問的には「ツンドラ地帯」というのは誤りなのだろう。
今は「シラタマノキ湿原・泥炭地」と呼ばれているようだ。

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石畳道と別れるとすぐに泥炭地に入る。木道が整備されている。
正面に採掘されなかった湿原との境の泥炭断面が見える。
向かって左端は湿原からの小滝がある。
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かっては断層のそばまで近づいて手で断層を触れた。
今は断層のそばに水が溜まってしまい、近づけない。
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左側の滝も同様に滝壺が拡大して木道は水面下。
近づけない。
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断層の上に登る道が作られており、初めて上に登る。
上も湿地帯で木道が作られている。
かってはここから龍泉ヶ原に抜ける道があったようだが
ずいぶん前から廃道になっているようだ。

太古より恵みの滴(しずく)足元へ

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栗駒山自然観察路・産沼・ゆげ山・硫黄精錬所跡

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栗駒山頂から自然観察路へ下る。
山頂からの下山路は、宮城県側へも含めて複数あるので
道迷いしないように注意。過去何度も下山路を間違え遭難した例がある。
道は低木の樹林帯を進む。時折、須川温泉と笊森避難小屋の赤い屋根がのぞいて
一安心させる。登山道には野生動物のフンが散乱。
鹿やもっと大きい(熊?)動物のフンもあった。昭和湖ルートより山深い。
丁度夏季の白毛門から朝日岳への縦走路を思い出させる。
ところどころの高山植物の説明版はすでに朽ち果てて判読不能。
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下り道に飽きたころ、産沼(うぶぬま)にたどり着く。
手元の古いガイドブックには水場の表示があるが飲まないほうが良いだろう。
右側より笊森避難小屋方面からのコースが合流。
これから須川への道は、半世紀前までの須川温泉のメインルートだった。
昔は馬も通れたのでもう少し広かったのだろうが、今はただの登山道に戻っている。
須川方面、最初の渡渉の直前で綺麗な沢を過ぎる。ここで水補給。
次に再びゼッタ沢を渡渉。今朝来た登山道に一旦戻る。
名残ヶ原から道をまた分けてゆげ山(西丸震哉命名説あり)と剣岳の間に歩を進める。
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剣岳の基部にたどり着く。
見事な岩峰だ。だが岩はボロボロなので登攀は不向きだろう。
子供時代、父の後輩で絵心のある人がここにイーゼルを置いて写生をしていた。
かってはここまで温泉からジープ道があったのである。だからイーゼルを担いで来れた。
今は白ザレと樹林帯の登山道に戻っていて、広い道があった痕跡もない。
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白ザレから樹林帯のくだりを歩くと再び白ザレ地帯が現れる。硫黄精錬所跡だ。
かっては天を突くようなレンガの煙突と精錬炉のあとが残っていて
日本離れしたまるでマカロニウェスタンに出てくるような光景だった。
’78年の地震で煙突は崩落。精錬炉もいつしか失われ今は僅かなレンガが
散乱するだけ。昔日の光景は失われている。残念だ。
ここで、沢水でポカリスエットを作る。
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精錬所跡脇から江戸時代中ごろの旧噴火口を眺める。
このように栗駒山は活きている。
今後も人を驚かすことを続けるだろう。

精錬所跡からはやはりかっての白ザレ道が登山道に戻ったあとを歩き、
須川温泉に戻る。行動時間は6時間を越えているので、今日は休息にあてる。
昨日行き忘れたツンドラ地帯は明日にしよう。

古の煉瓦は熱し夏の午後

下記の本にかって西丸氏が逍遥したころ(1950年代?)の須川界隈の
手書きの概念図が掲載されています。尾瀬同様、氏がつけた「地名」のてんこ盛り。
父はそれを見て「勝手にいろいろな名前をつけやがって。」と
呆れていました。誰でもそう思います。
西丸震哉の日本百山西丸震哉の日本百山
(1998/06)
西丸 震哉

商品詳細を見る

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2000円札両替

須川温泉の話は一休み。
先日連れ合いがいつもの地方銀行に両替に出かけました。
6万円の両替でしたが、なんとカウンターに用意してある
2000円札では不足。
慌てて行員は金庫に駆け込み、2000円札を補充したそうです。
数万円分の在庫も手元に置いていないとは
千葉銀行のやる気の無さを証明するもの。
もう少し金融機関の矜持を見せてくれていただきたい。

酷暑なりネコも日陰か朝6時



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昭和湖から栗駒山頂へ

昭和湖からは再び低木帯の急坂を登る。
かっては噴火のため裸地で、
下山時は昭和湖を眺めながら降りたものだが
今は植生が回復して、ただの山道になっている。
登山道のそばでシャクナゲが咲いていた。
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急坂を登るとやや勾配は緩くなる。連れ合いはそろそろキツさを訴える。
並行する沢の向こう側に水場があったが、植生保護のため
登山道にロープが張られており、今は入ることが出来ない。残念だ。
やがて頂上稜線に飛び出す。宮城県側、秣岳への道が良く見える。
写真は頂上稜線。岩は天狗岩という。ここを通過する。

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ハイマツの稜線を歩く事しばし、右側の崩落地に注意しながら
写真右側の頂上にたどり着く。
休息をとりながらでも須川から二時間半ほどだろうか。

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頂上には祠が祭られている。ぬいぐるみ達も記念撮影。
このまま置いておこうとも思ったが、冬場に飛ばされるのは確実なので一緒に下山する。

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宮城県側はいつもそうだが雲に覆われ始めている。
宮城県側のコースは一部しか復旧していないが、
それでも下山者がいる。
この道の先に、かってこのピークにも登った母の墓がある。
今頃父は母の墓参りをしているだろう。

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母と来し峰より望む母の墓


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栗駒山へ登る 名残が原 昭和湖まで

さて、朝食を終えたらいよいよ栗駒山登山である。
四半世紀前は秣岳まで縦走をして須川湖の奥に下山したが
今回は初心者の連れ合いが一緒なので、山頂から
自然観察路経由のラウンドコースである。
温泉脇の湯の滝から登山路は始まる。
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(撮影は前日。下山者が登山靴の泥を洗い流している。
地震後の補修部分の塗装に注意。
かっては奥に大浴場が張り出していたが撤去されている。)
低木帯を暫し登ると「名残が原」というお花畑につく、
バス道開通までは、お花畑から一ノ関方面に向かう山道が
須川へのメインルートで、ここまでは帰る客たちを
旅館の人たちが見送ったと言う。今は木道が作られている。
正面は栗駒山頂。登山ルートは写真の右側までのぼり
頂上山稜を右から左へ歩く。須川温泉からは2時間程度だろうか。

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お花畑を過ぎて、再び樹林帯に入るがすぐに
「ゼッタ沢渡渉地点」となる。
水面の石を飛びあるくのだが、初心者・年配者には面倒な場所だ。
なおこの沢水は温泉同様酸性で飲用不可である。
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沢をわたると地獄谷と呼ばれる涸沢を左に見ながら高度を稼ぐ。
昨日の雨のせいか珍しく沢に水が流れていた。
このあたりから背中に当たる日差しに苦しめられる。
かって、新穂高温泉から小池新道を登ったとき
同様に背中からの強烈な日差しに苦しめられた事を思い出す。
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須川温泉から約一時間。
1944年に爆裂した火口のカルデラ湖、昭和湖に到着。
地震の後、湖水は濁ったそうだが、現在は古に戻っている。
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写真には写っていないが、昭和湖に流れ込む沢を詰めると
「竜泉ヶ原」という湿地帯になる。
マスターは前回訪れたが、現在は環境保護のため
立ち入り禁止となったのは残念である。
湖畔で一休み。埼玉から来た夫婦の登山者と言葉を交わす。

涸沢が潤うほどの豪雨かな

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須川温泉の風呂と食事

須川温泉には内湯が二箇所ある。
一つは「霊泉湯」といい、古くから自炊棟の近くにある。
泉質は澄まし湯でも使っているのか綺麗に思えた。
木造の浴室で窓は小さめという昔ながらの風呂場である。
今回、入浴したところ源泉そのままを使用しているようで
泉温は非常に高く、入浴には苦労した。
また、周囲に建物が出来たためか、以前より採光が悪くなっている。

もう一つは大浴場。
二年前の地震で一部が損壊。
行政によってそのままの修復は禁じられ、新たに作り直された。
以前の大浴場はいわゆる千人風呂でしかも事実上の男女混浴。
設備も古く、泉質も泥臭くあまりお勧めできなかった。

今回は郊外のスーパー銭湯風に改装。
男女は別室になる。風呂は小さくなったものの、長方形の瀟洒な湯船である。
サウナもあり、小さな露天風呂も作られている。清潔でもある。泉温も良い。
個人的には大変好感が持てるが、やはり古くからのスタッフには
再建ならなかった大浴場に郷愁を持つ人もいるようだ。

マスターは入浴中の人を撮る趣味はないので、写真は撮らなかった。

須川湖から帰って入浴。18時から夕食である。
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ご覧の通り典型的な旅館料理で地元産の物は少ないだろう。
子供の頃はサワガニが出たが、今思うとそれもヨソから持ってきた物だろう。
鮎の塩焼きが写っているが同様だろう。

南アルプス山麓の某鉱泉。
そこでも鮎の塩焼きが夕食に出るが、
実は四国から運んできた物である。同じような物だろう。

久しぶりに懐かしい場所を訪れた解放感からか、
日本酒の徳利を四本も並べてしまう。


須川温泉の朝は早い。源泉ダダ漏れの温泉は24時間入湯可能なので
5時前から朝湯の宿泊客で大賑わい。
フロントは早くも清算を済ませる客、栗駒山登山に向かう客で
5時過ぎから活気がある。
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ピンボケになったがロビーに掲げられている
日本各地の高所温泉一覧である。
5歳のとき初めて見たときは、須川温泉以外名前も聞いたことが無かった。
50歳の今、再び見ると、多くの温泉(大概登山基地)に足を運んでいるのを知り
感慨にふける。


朝食は7時から。
山小屋同様、すでに食堂の前に客が並んでいる。

この日は栗駒山登山を予定しており、マスター夫婦も並ぶ。
朝食はバイキング形式である。
客たちは律儀に順番に食べ物をとるので、行列は遅い。
時間に余裕があれば、行列が途絶える7時30分以降がよいだろう。
これも、都会のビジネスホテルの1000円程度のバイキングと同じである。
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マスターは昨夜の大量飲酒にもかかわらず食欲旺盛。
写真のほかに、お粥とコーヒー・牛乳もいただき完食する。
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一息ついたら、いよいよ25年ぶりの栗駒山登山である。

食堂のざわめきのなか鮎を食む

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須川湖に遊ぶ

宿に着いたのは午前中。
まだ早いので秋田側へ歩いて30分ほどの
須川湖という古いカルデラ湖に出かけた。

旅館をでるとすぐに秋田県境の標識があり、
しばらく歩くと秋田側の「栗駒山荘」が見える。
源泉は現在は岩手側から分けてもらっている。
(このあたりは黒歴史があります。)
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須川湖への道は、もともとカヤトの原を
ジープが通れる道しかなかったのが、
1960年代半ばに「栗駒山荘」が作られ、
バスも秋田側から通じ現在に至る。
この宿も増改装を繰り返している。
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意外と車の通らない舗装道路を30分歩き、須川湖へ着く。
空模様が怪しくなっている。
奥の山は秣(まぐさ)岳。栗駒山から縦走できます。
須川湖のもう少し奥で下山します。
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以前は小さな古い茶屋と湖畔を歩く山道しかなかったが、
20年ほど前に湖畔全体をキャンプ場に切り開きました。
当然大量のブナも伐採されたはずで、勿体無いと言うより、
環境行政はちぐはぐだと思います。

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持ち込んだカップ麺のささやかな昼食のあと
キャンプ場管理人によると「今日は風が吹いていない。」そうなので
ボートを漕ぎ出します。マスターは子供時代から
仙台の広瀬川のボートで遊んでいるので一応漕げます。
連れ合いはボート初体験だそうです。
顔を伏せているのは、撮影のためではなく恐かったそうです。
いまはライフジャケット着用ですからまず大丈夫です。

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須川湖の帰り、舗装道路からイワカガミ平という湿地帯に入ります。
以前は道がありませんでしたが、今は木道が出来ています。
ムシトリスミレの群落があったはずですが、説明はありません。
恐らく俗化の影響で絶滅したのでしょう。

旅館に戻ってまもなく、午後3時ごろから雷雨が始まり、
夜も雨が降り続きました。

ブナの樹の彼方にテントが二三張り


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須川高原温泉の自炊棟

今回、予約を入れたところ「旅館部は満室。自炊部ならあります。」
と言われた。
もっとも「自炊部」でも食事の予約はできるのでオーケーにした。
案内された部屋は自炊部の一階。もっとも斜面に宿は建てられており
階段を何度も登降する。今どきの高齢者・障害者には不向きな作りである。
環境行政のためか全面建て替えは難しいようで、
一部は昭和初期に作られた建物を改築を繰り返し使用している。
部屋の内部はかっては山小屋然としていたが、今は旅館並みである。
テレビもある。映るのは秋田側の放送である。
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ベランダ部分にはキッチン・冷蔵庫がある
包丁・鍋類はあるが、釜はないので
米を焚くときは釜を持参しないといけない。
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反対側には洗面台と食器棚。食器類も数人分置いてある。
洗剤は持参。洗濯機・トイレは共用である。
勿論共同台所も残っている。
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ロビーの売店では、野菜の出店が出ていた。
キャベツが一玉50円と安いので土産に買った。
トマトも安い。これも買った。
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他に、売店では調味料・缶詰・つまみ類・酒類・レトルト品も売っている。
米と釜だけ持ってくれば、自炊でも何とかなるだろう。
生肉・生魚は売ってなかった。
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湯治場の面影探す霧の宿

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須川温泉・栗駒山への旅1

三連休を利用して、マスターは幼少時
父の仕事の関係上毎夏のように逗留していた
岩手県一関市の須川温泉に出かけた。
母と出かけてから10年振りである。

一昨年の地震のあと閉鎖されていた岩手県側の道が
ようやく開通した事もある。
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JR一ノ関駅から午前九時発のバスに乗る。(一日二便)。
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かって(以後このシリーズ記事で「昔・以前・かって」と出れば
それは1960年代を指しています。ご了承ください。)
は二台の続行運転のバスに湯治客・温泉で使う荷物を満載したものだが、
今ではご覧の通りガラガラ。昔も今同様マイカーで出かける人は多かったので
自炊湯治客の部屋が相部屋を止めて、個室になりキャパシティが少なくなったのが
原因と推測される。
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矢びつ温泉に向かうおじさんに話しかけられる。
地震の話、昔話をする。
バスは、厳美渓・瑞山を経て
地震で崩落・修復した道路を何度も通りながら高度を上げていく。
おじさんが下車したあとは山道。人里を離れる。
誰も乗り降りするはずの無い停留所をいくつも通過。
ブナ林のなかをバスは進む。
座りしままにブナ林を堪能できるとは至福のひと時である。
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一ノ関から一時間半(昔は3時間くらい掛かった。道がひどかったからである。)
バスは須川高原温泉の玄関に横付けされる。
二人分2900円の料金の2000円分は勿論2000円札で支払う。
玄関には「再開通」を祝う広告が張ってある。
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改築を繰り返した玄関。
それでも少なくなったが昔のように
イワツバメが巣を作っており、客たちを歓迎してくれる。

(続く)
岩燕目の前横切る須川温泉

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