進め!2000円札

二千円札の利用を呼びかけています。画像欠落記事はコメント・  メールにて遠慮なく連絡ください。気付き次第復旧致します。

3月の努力目標

皆様元気にお過ごしのことと思われます。

今月の花はフキノトウです。
fukinotou.jpg

以前、離れを借りて一人住まいをしていると
この季節、よく庭に咲いていました。
採って料理をしなかったのが惜しまれます。

毎年思いますが、3月も結構寒い日が続きます。
皆様体調管理には十分気を付けてください。
マスターもダイエットは継続しています。

前ブログ(Doblog)閉鎖にともない移転作業中です。
現在、一日新規一記事・補修一記事のペースで書き込んでいます。
fc2のアクセス解析機能を活用して、
移行後にアクセスが確認されたDoblog時代の記事をアトランダムに補修しています。
なお拙ブログの性格上、画像がないと理解・納得できない記事が多いと思います。
「この未補修記事の画像を見たい。」という方は左記メールフォームか、
該当記事にコメントをつけてマスターにご一報願います。
連絡に気付き次第画像を貼り付けます。


今月もマスターは2000円札の広報マンとして活躍します。
皆様、どんどんこのブログの存在を知らない人達にもお声をかけて
2000円札活性化のお手伝いをお願いします。

アクセスログで調べると各種サーチエンジンで「2000円札 入手方法」と検索すると、
拙ブログが上位に出てくることが多いようです。

そこから拙ブログを閲覧していただく皆様には、この場を借りてお礼申し上げます。


「二千円札サーチ」はGoogleのブログサーチ機能を利用して、
効果のありそうなブログに書き込みを致します。
勿論、二千円札に関する情報をお持ちの方は
積極的に拙ブログにコメント・トラックバックをお願いいたします。
お礼に、特に断りがなければリンクをさせていただきます。
よろしくお願いいたします。
 
なお、記事の内容に関係なくても、最後は自作の俳句で締めます。 
 (例外記事もあります。ご了承ください) 
 最近、句会に投句していません。選句発表は休止します。

コメント・TBを不快に感じた方は、当方に無断で削除してかまいません。
なお、迷惑系、広告・宣伝(アフィリエイト)のみと判断したサイトからの
コメント・トラックバックは無断で削除いたします。ご了承願います。

メールはサイドバー上のフォームからお願いします。

※なおブラウザがIE以外だと、拙ブログは画像が見られない場合があります。
 この記事では「フキノトウ」の画像が見えるはずです。
 もし画像が見えなければIEを利用願います。


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見繕い様々に調ぶ三寒四温

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葬儀後のお浄め

葬儀が終わると、親戚・世話になった病院関係者などを
近所の人の代表を集めてささやかながらお浄めの会を
斎場の別室で開いた。

事前に仙台在住の叔父から「食事の前に一言言わせてください。」
と依頼があったので、その通りにした。

叔父は「故人は学問の世界では立派な人だったでしょうが
亡くなる数か月まえからは本当に困った人でした。」
と昼夜を問わぬ介護の大変さを延々と話し始めた。

拙ブログを読めばお分かりのように、
父が夜中に「ああしろ。こうしろ」と言った時に
真っ先に冬の夜中でも呼び出されたのは
仙台在住の叔父夫婦だったのである。

介護の大変さを窺えるエピソードである。

花冷えや足元選びて歩く犬

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通夜から葬儀へ

通夜・葬儀を行う斎場は控室に宿泊ができるようになっている。
もっとも、故人が仙台市内ならば、通夜終了後
大概は一旦遺骨・位牌と一緒に自宅に帰る場合が多いそうである。
マスター家もそうした。
翌朝は斎場が手配したマイクロバスで再び斎場に向かう。

葬式の手順も通夜とはそう違わない。
こちらも100人前後であろうか。
平日午前中なので、仕事で来れない人もいるだろうから
淋しくない程度に列席者がいてくださり安心した。

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70年前、一人の少年が田んぼの中の小駅から列車に乗った。
少年は列車で中学校に通う間に、英単語を覚え、数学の証明問題を解いた。
今少年は年老い、冥途へと旅立っていこうとしている。
その途中で何を覚え、何を証明したのか、聞くことができないのが
子供としては残念である。(喪主挨拶より)。

祭壇の脇にひっそり梅の花

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震災復興の支払いは二千円札を!

父の葬儀の更新がなかなかできません。申し訳ありません。

さて、新聞を斜め読みしていると、
「復興では人手がいる。現金払いだからカネを増刷して
インフレ気味にして経済も活性化すべき。」という論説が見られる。
一見もっともだが大切なことをお忘れでは。

震災で紙の原材料供給体制がズタズタなのに(新聞・雑誌が薄くなったのはそのため)
わざわざ紙幣を増刷するには及ばない。

日銀・市中銀行の金庫に眠ったままの二千円札を
復興需要の現金支払いに充てればよいだけである。

とくに被災地のがれき撤去・復興にあたる人たちへの支払いは
二千円札を中心とした現金払いに徹しよう。

二千円札を使用する人は「被災されたのですか。」とか
「復興のお仕事ご苦労様です。」と被災していない地方でも
店員に言われるようになればしめたものである。

二千円札を復興のシンボルにすることは
国家危急の折にも妙案だと思う。

今こそやこれぞ切り札春を呼べ

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こんな映画を観た「原爆の子」

「ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ」の便乗企画ではありません。
本作を見たのは三月初旬、震災前です。

乙羽信子演ずる若い教師が、自ら被爆した広島を再訪する話です。
ヒロインの周辺の人は原爆で亡くなるか、心身ともに傷つくか
人生を捻じ曲げられた人たちばかりなのに、乙羽さんだけは健康そうな
笑顔と若い肢体を振りまいています。

新藤兼人流のどんでん返しがあるかと思いきやそうでもなく、
むしろ淡々とした構成で映画は流れていきます。

下衆の勘繰りですが、この映画の撮影をきっかけに
新藤氏と乙羽氏は男女の仲になったのは周知のとおり。

それを踏まえて画像をみると
惚れた女をいかに美しく撮るかという、
新藤氏流のラブレターと思ってみれば妙に納得します。

(DVD鑑賞)

山眠るプルトニウムを浴びながら

原爆の子 [DVD]原爆の子 [DVD]
(2001/07/10)
乙羽信子、滝沢修 他

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葬儀屋さんの話など

仙台入りの目的のひとつに残務整理がある。
病院・葬儀の既請求分はなるべく現金で払うことにした。
ATMもろくに動かぬこの街の現状では致し方ない。
葬儀屋に残金を払う。
犠牲者の火葬の手配で忙しいが、普通の斎場の葬儀は病死も含めて行ってないという。
皆、密葬で執り行っているという。
日曜日、ようやく契約していたSECOMが来訪。
当方は昨日の内に作動確認済みだか再確認。
名刺を見たら京都から応援に来たのが判明。
震災直後は警視庁の白バイ隊が仙台中心部の交通整理をしているのを見た。
皆さんの応援に感謝する。
マスターの持って来た、土産の菓子や肉缶詰、野菜は親戚、近隣者に好評。
まだまだモノ不足は続いている。
ザックに余裕があったのでもっと持って来れば良かった。
遠慮を真に受けたマスターの失敗。

笑い声あちこち響く被災街

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被災地@仙台市若林区で歌うカラオケ

土曜日の夜、近くの商店街へ。
焼鳥屋が開いていたが、ガス不通と食材不足で限定営業。
時間もかかる。
マスターの無事を確認すれば良かったので、ビールを飲んだだけで引き上げる。
近くのカラオケバーに初めて入る。
人の良さそうなご夫婦だけで切り盛りしている店。
ビールが沢山ある。
元々在庫を多く持つ主義だったそうだ。
つまみも同様に豊富。
復興のために遠慮なく歌う。
以下曲名、復興向きを選んだ。
スピード「ステディ」
槇原敬之「北風」
浅香唯「セシル」
西城秀樹「ヤングマン」
堺正章「涙から明日へ」
最後は宮城県女川町出身、中村雅俊の
「ふれあい」

♪人は皆一人では
生きていけないものだから♪
歌詞が心に滲みる。

復興の街に流れる春の歌

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香典には二千円札を!

葬儀の後始末で仙台入りしています。
携帯から更新します。
話は前後しますが香典のチェック作業をしました。
残念ながら二千円札を使用した参列者は一人もいなかった。(涙)。
五千円札がなかったのか、
千円札を五枚使用していた人がちらほら見受けられた。
こういう人こそ二千円札二枚と千円札一枚というふうに使用して頂きたい。

二千円札無きを悲しむ春の夜

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出棺、火葬、通夜

月曜朝、地元紙に死亡広告が掲載された。
日曜日掲載は締切が間に合わなかったのである。
朝、死去をしって、その夜に通夜ではあわただしいが致し方ない。
もう一日欲しかった。
昼前、出棺である。
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父の遺体はワゴン車型の地味な霊柩車にのり、
長年勤めた大学の脇を通り郊外の火葬場へ向かう。
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火葬室の前で最後のお別れ。
火葬終了後は斎苑へ直行。
学者であった父は、お弟子さんや関係者が詰めかけると思われるので
葬儀屋のアドバイスに従い、100名を少し上回る程度の設定にした。

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「一度怒り出すと切りがない父があの世で怒っているのでは。」と
親戚皆心配したのでは言うまでもない。

ズラリと並んだ学界・学会関係者や親戚・趣味関係からの生花。
こぶりの会場では入りきれなかったろう。

通夜はやはり100人以上の人が訪れ、葬儀屋のカンは的中した。
東京と違い香典を置いたらそそくさと帰る人は少なく、
ちゃんと座って最後まで皆付き合った。
もっとも「お浄め」の酒食は辞退する人がほとんどなのは
仙台も東京も同じ、余った食事は折詰にして関係者に分けた。
香典の勘定で、通夜に列席できなかった親戚もいるのである。


斎場の生花でようやく春感じ

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葬儀進行

居残った親戚間で会議が開かれる。
今後のスケジュールの確認である。

通夜・葬儀は故人の意に反して、仙台市内の斎場で世間並の規模でおこなうことにした。
地元紙への死亡広告も、故人の意に反し通夜・葬儀前に出すことにした。

勿論葬儀屋には年末から内報している。
母の葬儀は父の意向で文字通りの野辺送りだった。
大叔父が意外にも「あの時は地元の人たちから『もう少しまともな葬儀にすれば』と
言われて困った。」とこの場で話した。
地元の付き合いもある大叔父には恥ずかしかったのだろう。

母の死亡広告を葬儀後にしたため、後で死去を知った人たちが家に
三々五々訪れ、対応にも困ったことも記憶に新しい。

仙台の葬儀のスケジュールは火葬場と僧侶のスケジュールの摺合せで決まる。

火葬は月曜昼に決まった。骨上げ後、その夜に通夜、翌日午前中に本葬と決まった。
やや急いでいるが、僧侶のスケジュールも勘案しなければいけなかったのである。

なお、仙台では火葬後の通夜・葬儀は普通の事である。母もそうだった。
葬儀後の火葬方式は「東京流」とよばれている。
逆にマスターは上京後、葬儀に列席すると、
最後に個人の顔を拝むことに面食らったものである。

父の故郷の寺への納骨も、四十九日を繰り上げ法要にして金曜日昼にした。
ついでに母の三周忌も本来は今秋なのだが、繰り上げて一緒に済ませることにする。

親族が仙台や東京に出ており、何度も帰るのが面倒なための生活の知恵なのだろう。

日曜日にも口コミや町内会の掲示板で訃報を知った人たちが訪れた。
勿論、当日の都合がつかない人たちもいた。

一人ひとりに父の思い出話を伺う。


喪服着て思い出を聞く春の宵

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父の葬儀

「死に方」の指図書を改めて開いた。
内容は生前から他人によく見せていたのでわかっている。
自分の戒名から始まっている。枕経をしてくれる僧侶も指定してある。
葬儀屋もだ。もっともこれらは母の時にも世話になった皆さんである。

ガンの場合は「事前連絡・根回し」ができるので、
年末の父の入院時に連絡していたように、二人ともすぐに来てくれた。
葬儀屋は僧侶の寺に出向いて僧侶の送迎もしてくれた。
枕経が読まれる。
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枕経の後、納棺。
納棺師は母の時も世話になった背の高い若い女性。
痩せこけた父の顔を綿を含ませたりして、きれいに直してくれた。
こうして応接間には仮祭壇が設けられた。
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納棺の時葬儀屋はベッドをすぐに病院側が持ち去るのを心配していた。

死去の報を聞くと、次の待ち患者に回すため、
納棺を待たずにベッドを持ち去る病院もあるそうだ。
幸い父の世話になった病院はそのようなことはなく、
のちに連絡して、こちらの都合の良い日に引き取ってくれた。

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イメージはそのベッド。

春の日を浴びつつ父の死水取る

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