進め!2000円札

二千円札の利用を呼びかけています。画像欠落記事はコメント・  メールにて遠慮なく連絡ください。気付き次第復旧致します。

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五月の努力目標

皆様元気にお過ごしのことと思われます。

3・11から二か月たちました。
マスターもそろそろ平常モードに戻ります。
しばらくは「慣らし運転」をしないといけません。
ご了承願います。

※なお、ツイッターでは最低でも一日一回はつぶやいています。
 ブログとは内容はほとんど重ならないのでこちらもご覧ください。

 左をクリック願います。 http://twitter.com/#!/asamai24 
 
 
2011042915420000.jpg
「がんばろう」という言葉は昔から嫌いです。
この言葉のために多くの人が「過労死」「自殺」に追い込まれました。
今回の震災でようやく「がんばろうはやめよう。無責任。」という
声が認められたのは、とりあえず評価しないといけません。

かといって「負けるな。」という言い方も「何に負けるの。?」という
問いに答えられません。

とりあえず、マスターの仙台宅近くの焼き鳥屋に掲げられていた
「力を合わせて」がよりマシな言い方でしょうか。
            

前ブログ(Doblog)閉鎖にともない移転作業中です。
現在、一日新規一記事・補修一記事のペースで書き込んでいます。
fc2のアクセス解析機能を活用して、
移行後にアクセスが確認されたDoblog時代の記事をアトランダムに補修しています。
なお拙ブログの性格上、画像がないと理解・納得できない記事が多いと思います。
「この未補修記事の画像を見たい。」という方は左記メールフォームか、
該当記事にコメントをつけてマスターにご一報願います。
連絡に気付き次第画像を貼り付けます。


今月もマスターは2000円札の広報マンとして活躍します。
皆様、どんどんこのブログの存在を知らない人達にもお声をかけて
2000円札活性化のお手伝いをお願いします。

アクセスログで調べると各種サーチエンジンで「2000円札 入手方法」と検索すると、
拙ブログが上位に出てくることが多いようです。

そこから拙ブログを閲覧していただく皆様には、この場を借りてお礼申し上げます。


「二千円札サーチ」はGoogleのブログサーチ機能を利用して、
効果のありそうなブログに書き込みを致します。
勿論、二千円札に関する情報をお持ちの方は
積極的に拙ブログにコメント・トラックバックをお願いいたします。
お礼に、特に断りがなければリンクをさせていただきます。
よろしくお願いいたします。
 
なお、記事の内容に関係なくても、最後は自作の俳句で締めます。 
 (例外記事もあります。ご了承ください) 
 最近、句会に投句していません。選句発表は休止します。

コメント・TBを不快に感じた方は、当方に無断で削除してかまいません。
なお、迷惑系、広告・宣伝(アフィリエイト)のみと判断したサイトからの
コメント・トラックバックは無断で削除いたします。ご了承願います。

メールはサイドバー上のフォームからお願いします。

※なおブラウザがIE以外だと、拙ブログは画像が見られない場合があります。
 この記事では「力を合わせて宮城」の画像が見えるはずです。
 もし画像が見えなければIEを利用願います。


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それぞれに辛きことあり五月過ぐ


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テレビ東京「月曜プレミア」で二千円札を特集

5月30日放送 20:00 - 21:54 テレビ東京
月曜プレミア 学べるカレンダー365 毎日が記念日

7月19日は3年で発行が停止となった2000円札が生まれた日。
発行枚数が少なかったことやサイズが紛らわしいこと、
自動販売機で使えなかったことなどが理由に挙げられた。
2000円札についてスタジオでトーク。
ゲストが家から何枚か二千円札を持参していた。


実はこの番組、マスターは見ておりません。申し訳ない。
放送自体も知りませんでした。
ネット検索で初めて知りました。
「家から持ってきた」ということは、退蔵していたのでしょう。
各人の財布に退蔵されたままの二千円札が市場で使用されれば
「二千円札をめったに見ない。」ということはなくなるのに残念です。

おりしも日銀那覇支店に設置されていた
二千円札流通促進委員会が3月末にひっそりと、
明確な理由も発表しないで解散したという
ニュースに触れたばかりでもあり
この番組を機会に、退蔵二千円札を使用する機会が増えることを祈ります。

長袖を仕舞えぬままや五月尽

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3月12日 栗原市から仙台へ

乗り込んだバスの乗客はわずか4名だった。
この混乱では仙台へ出掛ける人もすくないのか。
まさかバスが動いているとは思っていない人が多数派だったのか。

がら空きのバスはわかりきっているが、まずは郊外の東北道インターへ向かう。
やはり一般車入線禁止だった。踵を返して国道4号線へ。
大渋滞を覚悟してたが、意外とスムーズに車は流れている。
途中の信号はすべて消えている。
それどころか携帯もかなりの頻度で圏外表示がでる。
停電かアンテナの破損だろう。

時々渋滞に出くわす。
ほとんどがガソリンスタンドへの給油行列だった。
運転手・車掌は業務無線でバスの営業所と連絡を取っている。
これも電池が不足しているようで、つけっぱなしとはいかないようだ。

ガソリン不足はバスも同様であることが無線でわかる。
バス会社では従業員・車両の安否を無線で確認し続けているようだ。
IMGP0067_convert_20110525212409.jpg
イメージはガソリンスタンド渋滞の様子である。
左側一列がガソリン待ちの車列である。

仙台市北郊の営業所でトイレ休息。
事務所で伯父宅への電話を借りようとしたが断られる。
固定電話も不通なようだ。

運転手・整備士たちの会話から
ガソリン不足は大変な状況であることが分かってきた。

泉区にはいると、生きている信号機が出てくる。
給油待ちの行列はますます増えている。
仙台市街地に入るとクルマだけでなく、
灯油のポリタンクを抱えた市民の行列も加わる。
大方の商店は閉店。開いている商店には長蛇の列。

今まで経験したことのない事態が待ち構えているのを理解。
身体を緊張感が走る。

伯父宅に便利な駅前の一つ手前の停留所で下車。
普段の高速経由よりわずか一時間程度の遅れで
正午過ぎに到着したのは幸いであった。

春塵が行列に当たる被災明け

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3月12日の河北新報朝刊

(震災記事続く)
大叔父宅での一夜が明けた。
「これからあと何日この栗原市で過ごすのだろうか。」と
ぼんやりと庭を見つめていた。
(画像はその庭。地震でテーブルや庭灯が倒れている)
IMGP0058_convert_20110529093018.jpg



ふと見るとポストに新聞が入っているのではないか。
大叔父も気が付き取り出す。
河北新報
電気が通じず、テレビが付かないので初めて見る震災の画像であった。
写真はマスターは勿論のこと、仙台市民の魚釣り好きならば
誰もが出かけたことのある閖上地区の悲惨な状況である。
あの静かな漁師町が水没・火災を引き起こしているとは。

それよりも驚いたのは河北新報である。
よくあの大地震の翌朝に、たとえ号外程度の紙面でも
編集してこの宮城県の外れまで定時に配送したものである。
河北新報は地元のボスみたいなもので、マスターは悪印象を持っているが
この震災でも新聞を発行・配達したのは賞賛に値する。
勿論、ここまでこぎつけるのは大変だったそうだが
マスコミ人のプロ意識、良心がこの新聞の記者・社員たちに
残っていたのは素直に認めたい。ありがとう。

同時にテレビが付いている関東以南では大騒ぎになっていることが
予想できた。この写真以上の画像が垂れ流しになっているのだろう。
30年前の宮城県沖地震の時もそうだったが、これからの対応が大変だ。
(これものちに知るが、世界中がしばらく「垂れ流し」状態だったそうだ。)

大叔父が今後の予定を語り始めた。
ガソリン不足と渋滞が予想されるが、
とりあえず大叔父宅のクルマで仙台まで送ってくれるそうだ。
この非常時によそ者を置いておくわけにはいかないのだろう。
さっそくクルマに乗り込む。
クルマに乗った直後、飼い猫のメリーちゃんがいないのに気が付く。
大叔父はすでに承知していた。昨日帰宅した時には姿がみえなかったそうだ。
(この記事を書いているいまでも大叔父にメリーちゃんの消息は聞いていない。
おそらく戻っているだろうが。)

とりあえず栗駒市中心部の築館へ向かう。
幸い仙台までのバスが「いつ仙台につくかはわからない」が出るという。
バスの営業所で待つこと30分。仙台行のバスにのる。
大叔父も不安な仙台往復がなくなり助かったようだ。
なお、大叔父はこの後地区の一人暮らしの人たちの安否を
直接確認に出かけたそうである。コミュニティがまだ生きている。

寒風を切りて近づくバスの音

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こんな映画を観た「レッド・バロン」

第一次大戦ドイツのエースパイロットリヒトフォーヘンの伝記映画。
マスターは’60年代にハリウッドで作られたリヒトフォーヘン物2作品を
テレビで見ているが、やはりドイツ人が作るとよくもあしくも
骨太になります。

空中戦シーンは意外とすくなく、CGも自然な形で多用しているが
迫力は今一つである。実機を使用していたハリウッド旧作版のほうが
良かったのではと思う。

画面は全体的に暗く、夏でも寒さを感じる北フランスからドイツの
雰囲気をよく伝えている。
ハリウッド製だとこうはいくまい。

リヒトフォーヘン役のマティアス・シュヴァイクホーファーの
イケメンぶりは当然だが、
恋人役の知的な看護師役のレナ・ヘディの好演ぶりにも注目。

戦争映画というより、戦争という環境のなかで青春を燃焼させる
一人の青年の青春映画という趣である。

当時最先端の武器である飛行機が逆に、かっての騎士の一騎打ち的な
運用でおこなわれるが、やがて「西部戦線異状なし」で描かれていた
ような凄惨な地上戦の発想・戦法が持ち込まれ、
末期の「ミヒャエル作戦」で空陸協調の現代戦となるにいたり
リヒトフォーヘンは半ば自殺的に戦死を果たすのが物悲しい。

最後の出撃の朝。
明らかに直前まで看護婦のケイトと同衾していた雰囲気を匂わせながら
飛行場のテントを飛び出し死地に向かうシーンは秀逸である。

戦死のシーンはカット飛ばしで処理したのはこの物語にふさわしい。

ポスター画像です。
レッドバロン

製作時から全世界公開を視野に入れていたため
俳優たちは吹き替えでなく英語をしゃべっています。
「ドイツ映画なのにけしからん。」という方のために
ドイツ公開時の予告編(ドイツ語版)をアップします。


夏の日を背に受け一人(ひとり)生き急ぐ

(2011年5月26日 丸の内ルーブル)

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3・12 栗原市築館から仙台へ

栗原市に話は戻る。
電気ならぬローソクを消して寝床に潜り込んだ大叔父一家とマスター。
水は通じたのが助かった。
今は温水シャワートイレのため、トイレも電気がないと作動しないことに気付く。
タンク脇の蓋をあけると小さな手動レバーがあり、これを使えば水を流せることを発見。
こんなこと大地震に遭わなければ気が付かなかった。

ラジオはつけっぱなし。沿岸部の津波の被害は恐ろしいばかり。
夜間では何も動けない。ラジオは建物の屋上に取り残された人たちに
一晩中励ましの言葉を送り続けている。
追い打つように新潟にも地震が起きたそうだ。
いったいどうなるのだろう。

東京は予想通り帰宅難民が大量発生したらしい。
父の死去が無ければマスターもその一人だったはず。
おそらく、地理的に会社泊まりでなく、徒歩帰宅を選んだだろう。
午前3時にふと目覚め、首都圏の連れ合いの実家に携帯で電話。
奇跡的に通じる。
義母が起きていた。こんな時間に起きていたのをいぶかしがると、
義姉が徒歩帰宅の最中でようやく近くの鉄道駅までたどり着いたそうだ。
東京も結構大変だ。

やがて6時を過ぎ、夜明けとなる。
夜明けとともに緊急車両のサイレン音、
ヘリコプターの爆音が空を覆い始める。

昼間のサイレン音とヘリの爆音はその後東京に帰るまで悩まされ続ける。
なんとなく起床。大叔父の娘さんはマスター同様、ラジオを聴きながら
まんじりとした一夜を過ごしたそうだ。

簡単な洗面の後、男はすぐに後片付け、女性は朝食つくりを始める。
そうそう乾電池での携帯の充電も。

土曜日だが出勤する大叔父の娘さん、学校があるお孫さんが
電池チャージは優先だ。居候のマスターは最後。
大叔父の娘さんは「子供がいるので。」という理由で
金曜日は地震発生直後に帰宅したそうだ。
その代り、本来は休みだが
土曜日の午前中の出勤をしないといけなくなったようだ。

朝食は卵入りオジヤ風ラーメン。限られた材料とカセットコンロで作る手腕には頭が下がる。
ひと段落つくとマスターの身の振り方について大叔父が話し始めた。

遅霜や「もう少しの辛抱」とラジオ言い

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3・11の仙台中心部  

(過去記事より続く)
マスターの勤務先との連絡ばかり先に書いたが、
タクシーで先に仙台に返した、連れ合いと叔父一家について述べる。
被災したときは仙台に向かう高速に乗っているときだったそうだ。
運転手は気づいたが、乗客は気づかなかったそうである。
ただちに高速閉鎖の措置が取られたらしく、
普段より北の泉インターに下されたそうだ。
携帯の記録を見ると15時半にはマスターに返事が来ている。
ちなみにマスターの東京の勤務先からの返事は15時55分である。
マスター側からの発信は連れ合いへは15時17分。
勤務先へは15時23分である。
(警察前で待機していたので地震発生直後の連絡はしなかった。)

その日は渋滞の中仙台市内に戻る。
マスター宅はつれあい一人では心細いので、連れ合いは中心部の
叔父宅にマスターが戻るまで世話になることになった。
仙台ももちろんライフラインは途絶している。

父の遺言でかけたラジカセがここで役に立った。
叔父宅には電気で動くラジオしかなかったのである。
栗原市のマスター同様、一晩ラジオをつけっぱなしである。

叔父宅は棚が全部倒れ食器は散乱。
せっかく買ったばかりの地デジテレビも液晶が壊れてしまった。

暗い中寝床を確保するため、連れ合いも加わり
懐中電灯の電気の中、23時ころまで片づけをしたそうだ。

正直言ってこれは下策である。
この状態では懐中電灯用の乾電池はすぐに品不足となるのは予想できた。
事実、翌日から仙台は5月の初めまで乾電池不足に悩まされる。
叔父宅ではその後電池の入手が困難となり、
マスター宅から乾電池をもらうこととなる。

大叔父とマスターのように、必要最小限の寝床だけ確保して
あとは余震が大変だが、夜明けまで寝て
夜明けと共に行動再開が得策だろう。

家無くし人に無情のはだれ雪


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今月の二千円札の両替

給料日には少し早いが、昼間外に出かける用事があり実行。
目についたのは信用金庫。
マスターは信金には生まれて初めて入店。
店内に入る。特に他の金融機関と違いはない、名称差別だと思う。
「地域銀行」とでも変更すればよい。
これだけで顧客はもっと獲得できるはずだ。
カウンターで来意を告げる。幸い二千円札のストックはあるそうだ。
だが新札はないそうだ。当方は新札にはこだわらないのでOK。
ブログめぐりをすると「二千円札は新札しか見ない。」という方が多いが
こういう街角の信金で両替するのも手だろう。
両替えはすぐに終了。
わざわざ紙封筒に入れてくれた。初めての経験。
いままでの金融機関では、紙封筒は自分で取るものだったからである。
窓口嬢も終始笑顔で応対してくれて気分が良い。
これからは積極的に信用金庫を使用してみよう。
なお、他の金融機関同様、無料両替は50枚までだそうだ。

微笑みとうらはら外は五月闇

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え!あのお得意先が 

厚生労働省は13日、障害者雇用促進法に基づく雇用義務を果たさず、
勧告・指導を行っても改善を図らなかったとして、プレハブ製造・販売のナガワ
(さいたま市)、労働者派遣業のキャリアビジネス(東京)
など6社の社名を公表した。両社は2009年にも同様の理由で社名を公表されている。
 同法が企業に義務付ける障害者雇用率は1.8%以上だが、
ナガワは10年12月末で1.00%、キャリアビジネスは0.69%だった。
他の4社は、キャメル珈琲(東京、今年1月1日時点の雇用率0.13%)、
ソリトンシステムズ(東京、0.23%)、KATEKYOグループ(長野市、0.62%)、
アイスター(大阪市、0%)。(2011/05/13-15:19)

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201105/2011051300596

障碍者の雇用については、雇用率以下でも罰金を支払えば
おとがめなしの状況が10数年前まで続いていました。

当然「カネさえ払えば。」の発想は批判を浴び、実際に雇用をするように変化しました。
1.8%というと従業員二千人の中堅企業ですと36人も雇用しているのですから結構な人数です。
でも、実際はそれほどいるようには見えない。
それは、元は健常者でも心臓手術などで「障碍者」になった人も結構いるからなのです。
これら「見えない障碍者」の問題は重大ですが、今回は触れません。
障碍者の雇用は労使ともに不安を感じます。「お荷物」になるのでは。
実際に始めると日本人の気遣い精神が発揮され、健常者にも働きやすい職場になります。
逆に障碍者を雇用しない会社は健常者にも働きにくい風通しの悪い職場でしょう。
ネットスラングでいう「ブラック企業」。

上記記事で実名をさらされた企業のひとつに
実はマスターが新人セールスのころ担当になった会社の名前を見つけ、
そちらの方が驚きました。

その会社は東京郊外の住宅地の駅前のささやかな建物に入っている典型的な中小企業。
マスターが新製品を紹介すると、「これは売れるぞ!よし、さっそく売込みだ!」と
当時独立したばかりの社長と、たいして年齢の違わない部下たちが上下隔てなく
ワゴン車のハンドルを握り、客廻りにいそしむ。
マスターが出入りしているころはそんな会社でした。
「あんなところを晒し上げないで、もっとでかくてやり手の会社で違反している
所はいくらでもあるだろうに。」と思いながらその会社の社名を検索。

なんと、いまでは全国おろか海外にまで拠点を築きあげて盛業中であることが判明。
「でかくてやり手の会社」になっていたのだった。

あの小さな会社に出入りしてから四半世紀の年月がたっている。
その間、同じような規模でいる会社。勢いがなくなり潰れた会社。
一度は大きくなったがスキャンダルまみれで潰れた会社。
いろいろな会社を見てきたが、あの会社は成功したほうだろう。
当時のマスターは、あの会社が大成長するとは思わなかった。
セールスマンとしての眼がなかったとしか言いようがない。

今回の「社名公表」を機に、あの会社の経営陣は
創業まもないころの「みんなでカバーしながら仕事をした」原点に
立ち戻って、再生の道を歩んでほしい。

亡き父の友より新茶ほろ苦し

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2011 TEPCO CALENDAR(2011年東京電力カレンダー)

部屋の整理をしていたら、表題の未使用カレンダーが出ていた。

2011052206470000.jpg

3月11日までテレビで毎日のように見ていたモグラ一家やリス・ウサギたちが出ている
二か月めくりのカレンダーである。

使用しないで物置に置いてあったのが良かった(?)。

写真では良く見えないが、前年12月の表紙部分のコメントを紹介する。

            今年はどんな一年になるのでしょう。
きっと、より多くの人が、地球の事を考えて暮らすようになるのではないでしょうか。
     だから電気も「つくる」から「つかう」までの、さまざまな場面で、
            日本にとどまらず、広い世界で、
     もっと環境を想い、CO₂を減らせるよう、先頭に立ってがんばります。
          それが未来を切り拓くと信じるから。東京電力。


まるで、3・11以降の世界を予言したような前書きである。
CO₂を放射性物質と読み替えれば完璧である。

ためしにヤフーオークションを覗いた。
これと同じではなかったが、未使用の東京電力のカレンダーが出品されていた。
大した値段はついていなかった。

            
南風や五感を越える罪運ぶ


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3・11-3 眠れぬ夜

(前記事続く)
やがて大叔父の娘さんとお孫さんが帰ってきた。
娘さんはマスターの顔を見て唖然とした。
すぐに事情を察したらしく、「帰れなくなったのですね。」と言った。

男二人は片づけ。女性三人は夕食の準備を始める。
カセットコンロがあったので、とりあえず調理はできる。
冷蔵庫から腐りやすそうな食材を選んでいるようだ。

勿論、その間もラジオはかけっぱなし。
沿岸部の被害状況が入ってきた。

警察で聞いた通り津波の被害は甚大らしい。
曰く。
・気仙沼は市街地が消失した
・仙台市荒浜の海岸には二百人ばかりの遺体が流れ着いているが
 余震と津波の恐れから収容作業はまだ行っていない。
・仙台市内はすべてのライフラインが途絶。市民は歩いて帰宅。公衆電話に長い列。
・石巻のコンビニでは店内に取り残され、首まで水につかった客がメールで
 救出を求めている。(これはデマだったようだ。)
・仙台空港をはじめ沿岸部の建物には多くの人が取り残されている。
 周辺が水没し、脱出できず屋上で吹きさらしのまま夜を迎えようとしている。
東北放送の電波状態が悪くなってきた。おかしい。
(のちに知る。東北放送はラジオ送信塔が被災し、小出力の以前使用していた
 機器で放送していたそうだ。電気も切れ燃料を気にしながら自家発電で対応したそうだ。)

もはや、仙台への道も、帰京の方便もわからない。
しばらくはこの栗原市に踏みとどまりそうだ。

夕食は、焼きそばと焼肉。
大叔父が「こんな時こそリラックス。」といって、酒をふるまってくれた。
気遣いの人である。

かねての打ち合わせの通り、日没後は全員居間に集まり、布団をしく。
ロウソクは大叔父が信心深いので灯明用が大量にあり心配はない。
携帯の電池が切れそうだが、これも乾電池がストックしてあるので
なんとかなりそうだ。もっともいつまで電気が通じないのだろう。不安だ。

9時過ぎには消灯。就寝。寒いので旧式の石油ストーブをつけたまま寝る。
ファンヒータは電気がないので使えない。

つけっぱなしにしたラジオからはひっきりなしに沿岸部の被害の様子と
水没した建物に取り残された人々への励ましのメッセージが聞こえる。
「あと8時間で朝になります。そうすればヘリコプターが飛びます。
 寒いでしょうが気をしっかりと持って朝を待ってください。」

携帯からの電話・メールは断続的に通じる。
勤務先とはメールでやり取り。
東京も大変だったようで、社員は地震直後一旦社屋から駐車場に避難したそうだ。
交通機関がろくに動かないので、今夜は会社で一夜を過ごす社員が多いそうである。
ともかく会社とは連絡が取れて助かる。

冬ざれの水没地思えば胸塞ぐ

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