進め!2000円札

二千円札の利用を呼びかけています。画像欠落記事はコメント・  メールにて遠慮なく連絡ください。気付き次第復旧致します。

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八月の努力目標

皆様元気にお過ごしのことと思われます。


今月の歳時記の中にしかない「夏の風物詩」、

「氷柱」
グーグルで画像検索をしても
「冬山の自然氷柱」「軒先のつらら」だけが出てきます(トホホ)。

歳時記によれば「デパートなどで夏場に涼をとるために
通路の所々に置いてあった」そうです。
1960年生まれのマスターですが、流石にそこまでの記憶はない。
古写真をネットで見つけましたが著作権の関係でお見せできません。

でも、探せば今でも「氷柱」を出しているところは数か所残っているようです。
たとえば神戸三宮センター街
氷柱
数年前から、ご覧のとおり現代的な氷柱を出しているそうです。
この氷柱には品物が封入されていて氷が溶ければ
見つけた人がもらえるそうです。
品物はともかく、道行く人たちが触っている風景にはほのぼのとします。

※なお、ツイッターでは最低でも一日一回はつぶやいています。
 ブログとは内容はほとんど重ならないように努力してますので
こちらもご覧ください。
右をクリック願います。 http://twitter.com/#!/asamai24 
 
 
前ブログ(Doblog)閉鎖にともない移転作業中です。
現在、一日新規一記事・補修一記事のペースで書き込んでいます。
fc2のアクセス解析機能を活用して、
移行後にアクセスが確認されたDoblog時代の記事をアトランダムに補修しています。
なお拙ブログの性格上、画像がないと理解・納得できない記事が多いと思います。
「この未補修記事の画像を見たい。」という方は左記メールフォームか、
該当記事にコメントをつけてマスターにご一報願います。
連絡に気付き次第画像を貼り付けます。


今月もマスターは2000円札の広報マンとして活躍します。
皆様、どんどんこのブログの存在を知らない人達にもお声をかけて
2000円札活性化のお手伝いをお願いします。

アクセスログで調べると各種サーチエンジンで「2000円札 入手方法」と検索すると、
拙ブログが上位に出てくることが多いようです。

そこから拙ブログを閲覧していただく皆様には、この場を借りてお礼申し上げます。


「二千円札サーチ」はGoogleのブログサーチ機能を利用して、
効果のありそうなブログに書き込みを致します。
勿論、二千円札に関する情報をお持ちの方は
積極的に拙ブログにコメント・トラックバックをお願いいたします。
お礼に、特に断りがなければリンクをさせていただきます。
よろしくお願いいたします。
 
なお、記事の内容に関係なくても、最後は自作の俳句で締めます。 
 (例外記事もあります。ご了承ください) 
 最近、句会に投句していません。選句発表は休止します。

コメント・TBを不快に感じた方は、当方に無断で削除してかまいません。
なお、迷惑系、広告・宣伝(アフィリエイト)のみと判断したサイトからの
コメント・トラックバックは無断で削除いたします。ご了承願います。

メールはサイドバー上のフォームからお願いします。

※なおブラウザがIE以外だと、拙ブログは画像が見られない場合があります。
 この記事では「氷柱」の画像が見えるはずです。
 もし画像が見えなければIEを利用願います。


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老若を問わず触れり氷柱に

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辻立ち

野田首相は最近まで船橋駅前で辻立ちをしていたそうである。
新聞でそのことを知った。
実はマスターは以前船橋で乗り換えていた。
でも、あまり意識はしていない。
同様に船橋で乗り換えていた知人に聞くとよく見かけたという。
マスターの乗り換えルートとは違う場所で辻立ちをしていたのかもしれない。
ともあれ千葉県出身では事実上初の首相。
いまどきの50代にしてはふけているというか、オヤジ顔であるが
そのような苦労が顔貌に現れていると思いたい。

少しずつ夜明けの時が遅くなり

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それで何が変わる?

二年前、あれほど日本中が「政権交代」に快哉を上げたのに
このたびは、どういうものだろう。

皆、その後の政治がたいして変わらず、場合によっては
もたついている。

外国にもその辺は見透かされてしまい、
「顔」を変えるとはガッカリものである。

本来ならば、首相指名より先に、解散・総選挙を行うのが
筋なのに、誰も言わない。

与党が議席を減らすのは確実なのはわかるが、
野党もそれほど増えないと見越して、解散に消極的なのは
ただあきれるばかり。

どうしてこのように自分の事ばかり考えて行動を起こす
人達ばかりになったのだろう。

まだ残暑目の前には瓦礫あり

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「ラーメンアオバ」閉店

仙台駅の地下通路を歩いていたら、未だブルーシートに覆われた一角があった。

2011081514590000.jpg
近づいて張り紙を見る。ご覧のように「ラーメンアオバ」という
店があったようだが、3.11で被害を受け、再建費用の捻出も
ままならず閉店のやむなきに至った旨が書いてあった。

張り紙には閉店を惜しむファンたちの書き込みがあった。
以前、東池袋の大勝軒が奥様の死去に伴い閉店したときも、
このように張り紙に多くのファンの書き込みがなされていたのを思い出した。


ネットで調べると、この店の開業はマスター上京後。
知らなくて当然である。
でも、立地の良さも相まって有名店だっようだ。

在京マスコミは「震災に負けずに」営業再開をした店は良く取り上げる。
でも「負けた」店を取り上げることはほとんどない。
現地で被災した一人として、
震災報道に「大本営発表」的な胡散臭さをいつも感じる所以である。

このように、3.11以降閉鎖したままの店は
マスターの過去記事で触れた店もある。
一見復興したかに見える仙台旧市街地でも随分あるはずだ。

地元紙「河北新報」はやはり触れている。
「河北」は露骨な地方ボス紙なので嫌いだったが
 3.11以降の記事はやはり被災地らしく読ませるものが多い。


もう一つ言おう。
「負けない」ことだけが良いことなのか。
「負けた」人たちを暗に批判するだけが良いことなのか。


仙台宅近くにある「負けた店」にもそのうち触れる。

久々の日差し懐かし戻り夏

追記
とはいっても、「東池袋大勝軒」もファンの声にこたえて営業再開。
現在は「暖簾分け方式」で盛業中。
「ラーメンアオバ」も人気店ゆえ
何らかの形で復活することを望みます。

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こんな映画を観た「鬼が来た!」

第二次大戦末期。黄河流域の一村落。
日本海軍の小部隊が駐屯しているが、
村人はそれなりに「鬼」たちとうまくやっていた。

ある村人の家に突然、布袋に突っ込まれた
日本陸軍兵と満州人通訳が、理由も告げられず
何者かによって放り込まれる。

単なる「反日映画」でもなく不条理の世界が描かれている。
どのシーンを説明しようとしても「ネタバレ」になってしまう。
安っぽい解説を拒否するのは、監督・脚本が只者でない証拠。

日本降伏後、文字通りアメリカ兵を後ろに従えた
国民党軍将校の「勝利と反共演説」のシーンが面白い。

香川照之をはじめとする日本人俳優もよくその特徴を
捉えらて演ぜられてる。

中国側の村長と日本軍将校の公式の意思疎通は
漢文による文章のやり取りというのは
長年の東アジアの流儀を強調して考えさせる。

日本軍が村民を宴席で突然だまし討ちにするシーン。
日中戦争ではしらないが、
戦国時代や対アイヌ戦にはよくあったことなので
この辺の洞察や勉強もよくしている。

中国で上映禁止になったそうだが、
何を現政府が「危険」と捉えたのか
マスターの拙い政治理解ではうまくかけない。


新涼か窓から仄かに風入る






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(2002/11/22)
チアン・ウェン、香川照之 他

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ゆうちょ銀行で二千円札への両替拒否?

偶々給料日に都心部に出かけていた。
早速、引き出した小遣いを二千円札に両替しようと目に付いた郵便局に飛び込んだ。
一般銀行と違い、郵便局(ゆうちょ銀行)では、両替機こそ無い場合がほとんどだが
両替依頼書を書かないですぐに両替をしてくれるのがメリットであることを最近知った。

マスターの順番になった。一万円札数枚を差し出して二千円札への両替を依頼する。
ところが若い局員はにこやかな笑顔で
「申し訳ありませんが、両替は受け付けておりません。二千円札もありません。」とのたまう。

意外な展開に驚きながら「他の郵便局では、二千円札の両替をすぐにしているのに
ダメですか。」と丁寧にたずねる。しかし「両替はしておりません。」の一点張り。

そこに、局員の後ろに副局長の名札をつけた女性が現れた。
彼女は「あ、二千円札ならございます。使用済みでよろしいですね。」といって
若い局員をさえぎり、奥の手提げ金庫から二千円札を持ち出して両替してもらった。

マスターの感覚では郵便局関係は二千円札を積極的に出金していたのに
若い局員の「拒否」に遭って、残念なことである。
一方、ベテランの副局長の機転にも感謝する次第である。

雷雨なり窓がしずくに覆われる

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仙台の住宅不足は本当か

マスターが福島からの自主避難のご一家に仙台宅を貸しているように
仙台市内では家族向けの二間以上の物件は、一戸建て・アパート・マンションを問わず
払底しているはずである。実際に不動産屋の扉に張られている物件案内は、
数軒をみてみたが家族向けは出ていない。あるのは単身者向けの一間物件だけである。

しかし、仙台市街地を歩いていると、アパートを中心に明らかに二間以上の物件で
「募集中」の表示があったり、あるいは空き家のままになっているのを見かける。
2011081515290000.jpg


イメージはマスター仙台宅近くのアパート群である。
少なくとも二部屋は空いている。どういうことだ。

賃貸にかんしてはこちらは素人だが、大家からみれば借主は
家賃の滞納をしない。部屋をきれいに使って欲しい。トラブルを起さないで欲しい
といったところが心配事のようだ。

今回の震災では、津波で家や財産を失った、あるいは資産価値が下がった被災者が多い。
そのため被災者に部屋を貸し渋ることが発生していると新聞に書いてあった。
浅ましいというか、「お互い様」の精神が消え去ったことに慄然とする。
現時点では行政が担保になってこれら被災者に賃貸物件を斡旋しているようだが
それでも、ご覧のように空き家はある。
「格差社会」の現実なのだろうか。自分は助かったからといって、
困った人は見てみぬ振りをしているのか。胸が苦しくなる風景である。

現在でも物件を求める人は多いはずである。
個人も行政も空き家・空きアパートについては、積極的に物件の掘り起こしをして
被災・避難家庭に安価に貸し出すべきである。

築80年近いマスター宅など、普通は恥ずかしくて人にお貸しできないが
それでも借りていただける方がいた。
それくらい「被災・避難」者は必死なのである。

両親が死後、放置されたままの家などは、遺品を処分するよいチャンスだろう。
がらんどうになった家に新しい一家を住まわせる。
家も、被災者も喜ぶし、近い将来被災者が去った後で、
家をどう処分するか本気に考える機会もでてくるだろう。

「人助け」ばかりでなく、自分の資産の有効利用を考えるよい機会だと思う。

人の世を憂しと思えり百合が咲く。

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初盆墓参

吉野家で朝食を終え、仙台南インターへ。
高速は混雑しているが特に渋滞はなし。築館インターで降りる。
料金所渋滞はなし。気抜けする。地元の人はすでに昨日でもすませたのだろうか。
築館中心部を抜けると、いつもの青田と散在する農家と一本道。
この田園もセシウム汚染の可能性が高く、
稲の出荷が危ぶまれていることを思うと胸が痛む。

今回は、先月にも訪れたこともあり、また従兄弟の家への訪問はしなかった。
寺に着き、「ゲゲゲの鬼太郎墓掃除セット」で、墓石の掃除。

2011081410170000.jpg

水拭きをすると、墓石はきれいになり碑文もよく読めるようになった。
とくに、汚くはなかったように思えたが、やはり汚れはついていたのだ。

墓には昨日参りに来た叔父夫婦が添えた花が残っていた。
それに、マスターが買った花と、仙台宅の庭に咲いていた
百合とつゆくさの花を添える。
母はツユクサのような、小さな野草の花を見つけると
喜んでいたのを思い出した。
2011081410360000.jpg

隣接する無縁塔と戦没者供養塔にも
お供えと形ばかりだが水を掛けた。
このお寺の檀家さんの戦没者はフィリピンが多いようである。
ただし、宮城県全体ではガダルカナルが多い。
(理由は各自調べてください。すぐにわかります。)
父の年長の幼馴染の多くもガダルカナルで戦死している。
ガ島撤退は昭和18年。父の中学時代の終わりころである。
幼馴染の死が父のその後の進路に影響を及ぼしたのは間違いない。


再びクルマにのり、祖父母の墓へ。
先月の来訪時には修繕中だったが、立派に復旧している。
というより、ほぼ新調である。墓域も磨いた石で敷き詰めてある。
以前は土がむき出しになり、墓域の基礎もブロックだった。
こちらも一応水拭きをするが、作ったばかりでさほど汚れていなかった。
2011081411230001.jpg

ただ、こちらの寺は、未だ資金不足と石屋が忙しい
(被災三県の墓場はみなこうである)ので、
放置された墓に花が供えられるれているのが多いのが残念である。

すでに正午を過ぎており、若柳インターから仙台にもどる。
昼食は長者が原サービスエリアで冷やしそばを食べた。混雑している。

ふた親をきれいに拭けり初の盆

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「むささびの宿」で一献

地下鉄の長いエスカレーターを乗り、一旦地上へ
東一番丁の三越前で友人と待ち合わせ。
一番丁から虎屋横丁に入り、「仙台名物 牛タン」の
看板をかき分けながら友人お勧めの「むささびの宿」へ着く。

内装は丸太つくりの山小屋風。
イワナ焼きが出てきた。御主人が釣ってきたものだという。
その他山菜なども自分で採取してきたそうだ。
日帰りで奥羽山脈に入り込める仙台だからこそ味わえる。

始めはお互いの健康話から始まる。
メタボ・内視鏡手術エトセトラ。
二十代のころは、このような話をしている年配者をひそかに
軽蔑していたものだが、こちらもそうなってしまった。

酔いが回るにつれて身の回りの話になる。
友人はこの秋に東京に栄転するそうだ。
でも素直には祝えない。

東京の飲み会などで地震(3・11)の話がでれば
東京人の一人が「東京も大変だった!」と言い始めて
「修学旅行の再来」の会社泊まりや、
「炊き出し付きの夜間ハイク」の自慢話が飛び出すのは目に見えている。

叔父一家や幼馴染を3・11で失った彼にとって
それは辛いひと時となるはずだ。

締めのとろろ飯を食べて外に出る。
さすがに二人とも、かってのようにフーゾクに繰り出す
若さも立場もなくなっていた。

画像はその夜の国分町です。若者でにぎわっていました。

2011081321460000.jpg


故郷の古酒は何故に苦かりし

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書きたい 書けない

マスターにとって仙台に帰ることは、
3・11以降「東日本大震災」の被災地に出向くことでもある。

本来ならば、もっと帰仙した時の見聞を拙ブログで記事にしたい。
しかし、いざパソコンに向かうとキーボードが動かない。
被災直後の様子の記事も未完のままである。

もとよりマスターが見聞きしたことは大したことではない。
それでもある方は「震災記事を読むたび泣いてしまいます。」
という感想を寄せられた。

マスターはこの方とはお会いしていない。
震災前だが、マスターが書いたmixiのニュースコメントを見て
お付き合いが始まった方である。
その方のプロフィールを拝見して、なぜか感ずることがあり
「一見さんお断り」という条件を承知の上で友達申請をしたところ
認めてくださった。先方も通じるものがあったのだろう。

遠い西日本の地で拙文に涙する方には申し訳ないが。
マスターにはやはり「震災体験」と「その後」を語るのは辛いことである。
様々な思いを前にキーボードを動かせないときには
結局パソコンを離れて酒を手に取り、その日の更新は中止する。

よく戦争体験者が「あの時の事は話したくない。」と言う。
その気持ちの幾分かでも気が付き始めてきた。
「話せない。でも話さないといけない。」
このジレンマにこの5か月悩まされている。

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イメージは仙台宅にクルマを置き、同級生と飲むため
地下鉄「三越前」(仙台にもそういう通称の駅があります。)
で降りたときに張ってあった、
被災ペットたちの里親依頼・援助・ボランティア募集のポスターである。
こういう当たり前の風景一つでも、首都圏とは大違いであり、
週末に仙台と行き来するたび、温度差に辛い思いをするのである。

「ペット里親・援助・支援」については、リンクをご覧ください。

湧きだせる思いや被災の夏終る

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こんな映画をみた「アンボンで何が裁かれたか」

初公開はシネマスクエア東急だったと思う。
その時は見損ね、確か飯田橋の今は無くなった二番館で見たと思う。
日本製作ならば「私は貝になりたい」に代表される
この手のBC級戦犯の悲劇はよくあるが、
裁いた側の製作というのは少ないのではないだろうか。

アンボンはインドネシア中部の都市。
戦時中ここに日本軍の基地がおかれ多くの連合軍捕虜たちが処刑された。
戦後、本来の責任者は自決したり、政治的配慮から罪を逃れ
実行者の下級将校が日本から連れ戻され処刑されるという、
日本人からみればおなじみのストリーである。

現地ロケだろうか、熱帯雨林の暑苦しさが、処刑シーンや裁判シーンの
やるせなさにうまくシンクロして効果的である。

処刑された日本人戦犯がしばらく放置されるシーンで映画は終るが
それが観客に考えさせる余韻を与えている。

日本人俳優たちを起用しているせいか、考証や日本語も
変なところはなく、スクリーンに没入できる。

ソフトはVHSはあるが、DVDはないのが残念である。


花火散るその一瞬の暗闇よ
(1991年ころ鑑賞)



アンボン

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