進め!2000円札

二千円札の利用を呼びかけています。画像欠落記事はコメント・  メールにて遠慮なく連絡ください。気付き次第復旧致します。

2月の努力目標

相変わらず寒い日々が続いています。
本年も二千円札普及活動に邁進しますので、
拙ブログにお立ち寄りの皆様、ご理解ご協力のほど
お願いいたします。

最近、「あまり更新していないがブログはやめるのか。」
という声をいただいています。

実はほかにも「公的」ブログやSNSの記事を書いている事情もあり
個人ブログはどうしても後回しになります。
「公的」と交代に書ければよいのですが、まだそこまでの境涯に至っていません。

そういうわけで拙ブログの更新を待たれている皆様には
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

今月の動画は柴田恭兵さんの「なんとなくクリスタル」です。




1981年1月に発売された田中康夫の同名小説を、
マスターは発売当日に買い、大学へと向かいました。
講義の合間に学友に見せると、
「ああその作品。ウチで『文藝』を定期購読しているので
すでに読んだよ。」とのつれない返事。
東京育ちの「教養」の深さを垣間見たものです。
その「文藝」で今、田中氏は続編ともいえる
「33年後のなんとなく、クリスタル」を連載中です。
でも、ネットで調べるとあまり話題になっていない。
本にまとまったら買いましょうか。

柴田さんの歌は、焼酎のオンザロックのCMに使われていました
上半身裸の柴田さんがオンザロックを揺らす夏向きのモノでした。
CMでは3番が使われていたと覚えています。


今月もマスターは2000円札の広報マンとして活躍します。
皆様、どんどんこのブログの存在を知らない人達にもお声をかけて
2000円札活性化のお手伝いをお願いします。

アクセスログで調べると各種サーチエンジンで「2000円札 入手方法」と検索すると、
拙ブログが上位に出てくることが多いようです。

そこから拙ブログを閲覧していただく皆様には、この場を借りてお礼申し上げます。


二千円札に関する情報をお持ちの方は
積極的に拙ブログにコメント・トラックバックをお願いいたします。
お礼に、特に断りがなければリンクをさせていただきます。
よろしくお願いいたします。
 
コメント・TBを不快に感じた方は、当方に無断で削除してかまいません。
なお、迷惑系、広告・宣伝(アフィリエイト)のみと判断したサイトからの
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諸事止まる雪のせいにはするまじと


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二千円札を引き寄せる人

掲示板のまとめサイトで結構な話を読ませていただいた。
以下に紹介する。

2年くらい前にバイトしてた店のレジで
やたらと二千円札を引き寄せる奴がいた
田舎と言えどもデパートだからレジの回転率は結構な物で
セールの日なんかはレジに行列ができても
二千円札なんか滅多に見かけなかったのに
そいつがレジに入るようになってからやたらと二千円札が来るようになった
聞けばそいつ自身もすでにそれを把握しているらしく
前のバイトでも普段買い物してても二千円札と遭遇する割合が高いそうだ
あのバイトやめて以来二千円札拝んでなかったけど今日たまたま目にしたので思い出した
奴はまだ二千円札を寄せる体質なんだろうか


なんでしょう、男性でしょうが
紫式部の背後霊がついているのでしょうか。
あの存命者の「霊言」を聞かせる某教祖にでも
見てもらえればよろしいかも。

またしても氷張りけり裏通り

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こんな映画を観た ある兵士の賭け

石原プロの大作群が封印を解かれてソフト化されたのはめでたい限りである。

その中の一作。何やら激戦地での命の駆け引きを想像させる
タイトルだが、実は「チョットイイ話」の映画化。
勿論、当時故、今の一間四方のみのセコイ世界観ではなく、
1969年当時の東京から別府までの風景も見せてくれます。
「男はつらいよ」の初期作と同じころの撮影で
当時はそれなりに「発展していた」と思っていても
今では見られなくなった「昔の日本」の風景を見るのは切ないです。
公開は1970年6月。70年安保の真っ最中です。

主演のデール・ロバートソンは日本では無名ですが
調べてみるとアメリカでは西部劇俳優として人気のあった方だそうです。
長身痩躯のいかにも陸軍将校(しかしどこか陰りがある)を好演しています。
従兵役はフランク・シナトラの息子さん。

画像は全体に落ち着かなく、脚本も有機的なつながりが弱いです。
この辺が公開当時赤字となり、もちろん願っていた
全米公開もできなかった原因でしょう。

米軍の全面協力もあり露骨な反戦メッセージを出せなく
撮影現場は混乱を極めたそうですが、今見ると「反戦」の思いは通じます。

それだけ1969年、70年というのはザラザラした時代だったのでしょう。
(DVD鑑賞)

駅舎陰黒き色なす残り雪


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(2013/03/20)
石原裕次郎、フランク・シナトラ・ジュニア 他

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おまけに動画サイトにアップしている短縮版を埋め込みます。

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マスターの山仲間の息子さんの葬儀

首都圏某所で、私の山仲間の息子さんの「お別れの会」が開かれ、
私も他の山仲間と一緒に列席させていただきました。
会場は故人夫婦の若い同僚・友人たちで埋め尽くされ、どうしても中高年が多い
普通の葬儀とは違い「夭折」の二文字が頭をよぎりました。
まず式典をキリスト教式にした理由を神父さんから説明を受けました。
故人の叔母さんの葬儀が叔母さんの入信していたキリスト教式だったそうです。
それに列席した故人が「お母さんの葬儀は、明るくキリスト教式でするから。」
と述べていたのを故人の母親が覚えており、個人の「遺志」を尊重したそうです。
故人が屈託なく、しかし ネットで叩かれているほど
「能天気」ではない30年間を生きてきた事がこの一件でも よくわかりました。

 大学進学も就職も決して一筋縄ではいかなかった旨、説明がありました。
故人の幼馴染、学生時代の友人でマスコミ勤務の方、親戚の弔辞、
そして療養中で列席がかなわない奥様からのメッセージが
淡々としかし涙交じりで読み上げられました。
故人が結婚式の直前に両親に送った手紙の文面は
故人がいかに自分より他人を思いやる人に成長したかを
自ら書き記していました。

故人にこれほどの文才があるとは驚きました。
残念です。

社内婚ですが、故人の勤め先の上司・役員などの
弔辞はなく、あくまで「個人」としての葬儀進行が
行われたのは、やはり「若い会社」ゆえの理解があるからでしょう。
創業年数を威張るだけのカイシャではこうは行きますまい。

マスコミには明かされていない、旅行の詳しい日程、
事件の最後の様子なども伺うことができました。
(何を言ってもネットで叩かれるからでしょう。
賢明な判断だと思います。)

齢30での夭折・横死ゆえ、会場では列席者のすすり泣きが絶えません。

「結婚式の『花婿の父』となって一月もたたないのに、
『花婿の喪主』となってしまった。」
 「まだ、息子の『新居』に出かけて後片付けができない。」
 「息子はどこか遠い国に赴任したものと思っている。」
  と、息子さんの死をいまだ受け入れられない
  お父さんの言葉が胸に刺さります。

「これからどうやって生きていけばよいのだろう。
天国があるならば、あの時一緒に死んでいればよかったかも。」
と今の思いを書き綴った奥様。(神父さんが代読)
奥様は典型的なPTSDに罹患しているようです。

列席者一人ひとりは、おそらく自らの無力さを噛みしめたかと思います。

終了後、山仲間で近くの居酒屋でお清め。
「お父さん」があの状態では、しばらく山行は勿論のこと、
飲み会も本人が息子さんの死を受け入れ、元気を回復し
さまざまな問題に目途が着くまで中止しましょうと
話をしました。

弱き陽や黒き服に消え去りぬ

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