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吉村昭氏追悼講演と座談会 8

(前記事続く)
加賀氏(基調講演から引き続き参加)

東京人として一言。東京生まれの作家は文学館がない。
日暮里に生まれると良い!(場内笑)。少し嫉妬する。
ところで日暮里は戦前牧場があった。都心部への牛乳への供給の
ため、牛を飼っているところが多かった。当然牛乳屋もたくさんあった。

沢野氏ー(先にも触れたが)日暮里は「府下」で、東京ではなかった。
(マスター注:荒川区の発足は昭和七年)
「彰義隊」の落ち延びたところ。官軍は谷中・日暮里方面に退路を空けていた。
昭和二十年4月13日の空襲で吉村家も焼失した。
そのころでも「牧養舎」(漢字表記未確認)という牛を飼っている牛乳屋があったが、
空襲で牛も死んでしまった。
日暮里界隈は「街の中で満足する」街の文化であった。

吉村氏は丹念に物を見る人だった。
寄席・歌舞伎・新派・・・。築地小劇場へは焼失直前まで通っていた。
若いときは映像作家になりたかったのでは。
「映画監督になりたい」と人に話したら「カラダが弱いのでダメだ。」
といわれたらしい。

後年、テレビの演出をすればよかったのでは。
「黒澤明」か「吉村昭」かと言われたであろう。(場内笑)

吉村家と澤野家は道路を隔てており、幼少期は交流はなかった。
知り合いになったときドーリットル機をどの角度で見たかで話が通じた。
二人の縁を取り持ったのは「ドーリットル」である。(続く)

また帰省新幹線も予約せり






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