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立教大学と太平洋戦争2

(前記事続く)
さて、林先生はたぶん翌週の講義であろうか、
戦後の立教大学について述べられた。
「日米開戦とともに米国に送還された、ポール・ラッシュ博士が
戦後、佐官待遇の軍属としてジープに乗って池袋に戻ってきた。
ラッシュ氏は戦中神道の禊場となっていて、十字架などの
キリスト教の祭礼具は堂外に放置されていたチャペルを見て激怒。
ただちに神道の禊場を元のチャペルに復旧させた。」

この時のマスターの感想は「戦中とはいえ禊場にするとは、
そこまでやるのか。」というものであった。

マスターのもう一つの母校東北学院も、戦時中軍部から圧力を受けたが
そこまではしなかったようである。
母は戦時中キリスト教系の女学校に学んでいたが、
動員先でも讃美歌を歌っていた(つまり礼拝はあった)と
話していた。
もちろん母も勤労動員の途中で皇居参拝はしたが、
それは当時も今も日本人の宗教観などから説明できよう。

ラッシュ氏は立教の教授としてより、一般には
1970年代にアンノン族のメッカとなる、
清里の清泉寮の創設者として知られる。
おそらく晩年の写真を紹介する
ラッシュ


ついでに言えば、本記事を書くまでラッシュ博士の
没年は1979年12月であることを知らなかった。
もっと前に亡くなっていたと思っていた。


つまり、マスターが講義を受けたときにはラッシュ博士は存命だったのである。
その割には、林先生はそのことに触れなかったように記憶している。
ラッシュ博士が亡くなった時も、特に学内で掲示や大々的な
追悼行事は無かったように覚えている。
(そうでなかったらご指摘ください。)

かって、新聞の読書欄で、ラッシュ博士の伝記が紹介された。
選評者は「戦後の立教大学はラッシュ博士に冷たかった。」
と書いていたのが記憶に残っていたが、
死去の時の対応はその「冷たさ」の現れかもしれない。

母が戦時中に歌った讃美歌をお聞きください。
マスターも高校時代、礼拝で歌いました。
讃美歌368番 勤労 (日本語歌詞のある動画は見tかりませんでした。)



(続く)

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