進め!2000円札

二千円札の利用を呼びかけています。画像欠落記事はコメント・  メールにて遠慮なく連絡ください。気付き次第復旧致します。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

立教大学と太平洋戦争6

(前記事続く)
やがて敗戦を迎え、ポール・ラッシュ博士が
再来日したことは過去記事に書きました。

ラッシュ博士の怒りを買った日本人理事たちは
公職追放の憂き目に遭います。

なぜラッシュ博士が激怒したか。
それは米人理事が退任・帰国する時に、
理事会では「建学の精神(キリスト教主義)は
変えない。」と日本人理事たちは誓約していたのです。
その時の理事たちが「棄教」をしたのです。


契約社会に生まれ育ったラッシュ博士の怒りは
我々の想像を絶するものだったでしょう。

「本格的な再建は、1946年6月に各校の総長・校長に就任した
都立高等学校(現・都立大学)校長・佐々木順三によって着手された。」

(WEBより)
私事になりますが、マスターの指導教授である近藤晃先生は
都立高等学校のご出身です。海軍兵学校を敗戦による中退のあと
一応都立高等学校は卒業扱いだったので、立教大学に進学されます。
つまり、違う高等学校・大学なのに校長は同じということになります。

なぜ、このような「棄教」が行われたかのか。
それは立教におけるキリスト教の位置づけも一因だと思います。
マスターの在学当時でも、大学では礼拝は必修ではなく、
また一般教養の「キリスト教倫理」も必修ではありませんでした。
これはキリスト教主義大学にとっては珍しいほうだと思います。
大学側は「キャンパスに満ちているキリスト教の雰囲気で
キリスト教主義を学生たちに感じさせる。」と説明していました。

でも、これはちょっと弱すぎる。
戦前もそうだったかは知りませんが、
都会的なスノピズムとひ弱さを感じさせます。
(だからと言って礼拝とキリ倫の強制もいやですが)
同書の当時の学生分析にもあるように
戦前から首都圏の自宅通学者が多く、
親の仕事はサラリーマンか裕福な自営業者、
地方出身者でも、下宿屋よりはアパート暮らしを選んだ
学生が比較的多かった校風
(他大学で学生のアパート住まいが多くなるのは
 高度成長期以降)の悪い面が出てきたのかもしれません。

一方ラッシュ博士。
「棄教」を選択した教職員にとって博士の再来日は
悪夢であったと思われます。
公職追放に遭わなくても、なるべくならば博士を敬遠したい。
バツが悪いとでもいうのでしょうか。
この辺の感情が博士への「冷遇」の一因と思います。

(続く)
※こんなに長くなるとは思いませんでした。


関連記事
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。