進め!2000円札

二千円札の利用を呼びかけています。画像欠落記事はコメント・  メールにて遠慮なく連絡ください。気付き次第復旧致します。

3・11の仙台中心部  

(過去記事より続く)
マスターの勤務先との連絡ばかり先に書いたが、
タクシーで先に仙台に返した、連れ合いと叔父一家について述べる。
被災したときは仙台に向かう高速に乗っているときだったそうだ。
運転手は気づいたが、乗客は気づかなかったそうである。
ただちに高速閉鎖の措置が取られたらしく、
普段より北の泉インターに下されたそうだ。
携帯の記録を見ると15時半にはマスターに返事が来ている。
ちなみにマスターの東京の勤務先からの返事は15時55分である。
マスター側からの発信は連れ合いへは15時17分。
勤務先へは15時23分である。
(警察前で待機していたので地震発生直後の連絡はしなかった。)

その日は渋滞の中仙台市内に戻る。
マスター宅はつれあい一人では心細いので、連れ合いは中心部の
叔父宅にマスターが戻るまで世話になることになった。
仙台ももちろんライフラインは途絶している。

父の遺言でかけたラジカセがここで役に立った。
叔父宅には電気で動くラジオしかなかったのである。
栗原市のマスター同様、一晩ラジオをつけっぱなしである。

叔父宅は棚が全部倒れ食器は散乱。
せっかく買ったばかりの地デジテレビも液晶が壊れてしまった。

暗い中寝床を確保するため、連れ合いも加わり
懐中電灯の電気の中、23時ころまで片づけをしたそうだ。

正直言ってこれは下策である。
この状態では懐中電灯用の乾電池はすぐに品不足となるのは予想できた。
事実、翌日から仙台は5月の初めまで乾電池不足に悩まされる。
叔父宅ではその後電池の入手が困難となり、
マスター宅から乾電池をもらうこととなる。

大叔父とマスターのように、必要最小限の寝床だけ確保して
あとは余震が大変だが、夜明けまで寝て
夜明けと共に行動再開が得策だろう。

家無くし人に無情のはだれ雪


関連記事
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する