進め!2000円札

二千円札の利用を呼びかけています。画像欠落記事はコメント・  メールにて遠慮なく連絡ください。気付き次第復旧致します。

岡部健先生の法人葬に参列

半月ほど前、仙台の叔父夫婦より電話があった。
マスターの両親を看取ったターミナルケアの専門医、
医療法人社団 爽秋会の設立者
岡部健先生が亡くなったことが新聞に載っていたそうである。

法人葬が行われる日は、マスターは別件で仙台に帰る予定だった。
別件の相手には事情を話して中座することを了承してもらい、
葬儀に参列することにした。

岡部先生の看取りについては、とりあえず拙過去記事
「看取りの心得」
「「死期予告」の男女差」
を読んでいただきたい。

なお拙ブログ「介護」カテゴリー内でも
岡部先生の言葉が他にも採録されている。

これらの記事で「主治医」「医師」と書かれているのが
ほとんど岡部先生である。

一報に接したとき、マスターの胸中では
「くるべきものが来たか。」という思いが去来した。

母の看取り(2009年9月)のときは岡部先生は元気で、
マスターと共通の趣味である登山の話をされる余裕があった。

その後、先生自身もガンを発症された。

父の看取り(2011年3月)のときはすでに入院の経験があり
父の枕元で「私自身も患者となったことで初めて解ったことが
ありました。」と話をされていた。

父の葬儀後、先生にお会いすることはなかったが
訃報を聞いて最晩年のインタビュー記事と写真を見ると
かなりやつれていらしており
元気なころの先生を知る身としてはなんとも痛々しい思いがした。

仙台宅を出て地下鉄に乗り、葬儀場近くの駅で降りる。
マスター同様の喪服姿の人たちが多く歩いている。
みな先生の葬儀に出るのだろう。
葬儀場は父の葬儀を行った場所でもあった。
もちろん、先生の葬儀の方ははるかに広い会場である。
受付で記帳。式次第と先生の略歴・言行が書かれたパンフレットをいただく。
葬儀パンフ表
見開き
葬儀パンフ開き
会場に設定されていた遺影の飾りつけは質素で故人の遺志を感じさせた。
法人葬

六人もの方が弔辞を読まれた。
三番目に読まれた女性の方は、
途中で故人の思い出がよぎりはじめたのか泣き出した。

どの弔辞でも、先生の穏やかなしかし自らの仕事には厳しかったこと、
山歩きと酒(だから胃がんになったのだろう)を楽しまれたこと。
3・11以降の犠牲者の慰霊、被災者・遺族への心のケアに
自らの病をおして奮闘されたことに触れていた。

弔辞の最後にノンフィクション作家の柳田邦男氏からの弔辞が代読された。
以前から付き合いがあり、死去直後にも死顔を拝見されたそうである。

息子さんの(二十代後半?)の謝辞のあと、
マスターも含む一般参列者は順に焼香をしてそのまま会場を後にした。

みちのくに名医ありけり菊枯れる
関連記事
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する