進め!2000円札

二千円札の利用を呼びかけています。画像欠落記事はコメント・  メールにて遠慮なく連絡ください。気付き次第復旧致します。

昭和 父 デトロイト デトロイト破壊の追記画像あり

デービッド・コール氏が米デトロイトの高校を卒業し、自動車工学を学ぶため大学に進んだ1955年、同市は「自動車の都」と呼ばれていた。それから約60年が経った今、「都」から「自動車」はほぼ消えてしまったと同氏は語る。

自動車業界がグローバル化し、「より速く、より安く」が製造面で重視されるようになり、かつてはデトロイト市内に点在し何千人もの従業員を抱えていた自動車工場の多くは郊外や他の州、もしくは中国やブラジルに移転したとコール氏は述べた。コール氏は米自動車研究センター(CAR、ミシガン州アナーバー)の名誉会長で、ゼネラル・モーターズ(GM )元社長の息子。

コール氏は「自動車業界はプレッシャーを受けて変わらざるを得なかった。そして進化した」とした上で、「だがデトロイトは変わらなかった。悲しいことだ。全てを当たり前のように享受できると思い込んでいた」と述べた。

デトロイト市は18日、連邦破産法9条の適用を申請した。米自治体の破綻としては過去最大。負債は180億ドル(約1兆8000億円)に膨らんでいた。デトロイトを本拠地と呼ぶGMやフォード ・モーター、クライスラー・グループは利益を上げ、成長を続けている。

カリフォルニア大学バークレー校で労働問題を専門とするハーレー・シェイケン教授は「20世紀の大半において、自動車産業とデトロイトは同義語だった」とし、「デトロイト市内を運転すれば、いや応なし自動車メーカーの存在に気付かされる」と語る。

別々の運命

その上で、「自動車産業はグローバル化し、米国内でも分散が進んだ」と指摘。「ミシガン州ではなお極めて大きな存在感があり、デトロイト市内でもその存在は重要だ。だが運命は別々の方向へと変わってしまった」と述べた。

米政府の自動車産業作業部会で首席顧問を務めたスティーブン・ラトナー氏は、デトロイト市の再建は米自動車メーカーほど迅速にも容易にも進まない可能性が高いとの見方を示した。

GMとクライスラーは公的資金の注入を受け、破綻申請から約6週間で再出発した。公的資金による救済を辞退したフォードは、債務や労働コストの削減などを通じ自力で再建を果たした。

ラトナー氏は取材で、「デトロイト市の再建は自動車メーカーよりずっと厳しいものになる」と指摘。「長い時間かかることになるだろう」と予想した。

デトロイト市と自動車産業の繁栄との結びつきは、ここ60年の間に薄れてきた。市内の製造業の職は1950年におよそ29万6000あったが、2011年には2万7000未満に減少。米自動車メーカーは新たな工場を国内の別の地域や国外に建設し、生産移転を進めた。そうした移転がデトロイトの衰退を加速させた。


http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MQ71QI6JIJVK01.html

本日は「父親自慢」というイヤミな記事です。

父は1950年代の後半、この街に二年間留学をしていました。
まだ一般人の海外旅行が許される前の官費留学です。
当時アメリカにいた日本人は僅かな駐在員と留学生、
それに戦争花嫁だけだったそうです。
アメリカの豊かさと敢闘精神を感じた反面、
公民権運動が本格化する前ゆえ、
人種差別に憤りまた自らも悩まされた二年間だったようです。

破綻のニュースが飛び交った週末。
たまたまマスターは仙台に帰省していました。
早速、書庫へ向かいました。
写真撮影が好きな父が残した「黄金時代のデトロイト」の
カラー写真があったはずです。

確かにそれはありました。
写真がデジタル化される直前まで、プロはもちろんアマチュア愛好家も
高いフィルム現像代を避けるために、カラー撮影を中心に
リバーサルフィルムを使用していました。要するに「スライド」です。
そこに写っているカラーのデトロイト市街、ハイキングやボート遊びに
興じる市民たち、大きな車と家、中心部のビル群は
敗戦国の貧乏学者だった父を驚かせるに十分だったでしょう。

73年秋、オイルショックの直前、父はデトロイトを再訪します。
「15年たったが何も変わらぬ街である。」と当時家族に宛てた
絵葉書に書き残しています。

実際は60年代の暴動のあと、白人たちの脱出が始まっていた時期ですが
一介の旅行者にはそこまで見ることはできなかったでしょう。
逆に「何も変わらぬ」とはデトロイトの停滞の予兆だったかもしれません。
父も驚いていたように日本車が米本土を当たり前に走っていた時代になっていました。

70年代の末からデトロイトの凋落ぶりが日本でも伝えられるようになりました。
ある日新聞で「フォードが付属病院売却」という記事をマスターが見つけ
父に見せると「あの巨大で最新鋭設備の病院が・・・。」と絶句しました。

スライドを死蔵するのももったいないと思い、
今回そのスライドを持ち帰り、皆様に少しずつ公開しようとしましたが
仙台宅に忘れてしまいました、来月に予定している次回帰省後から公開します。

長らく仙台宅の玄関には、デトロイト・タイガーズのマスコットのトラが
ガッツポーズを決めている陶製の飾り物がありました。

しかし、父の死後一週間後に起きた東日本大震災で
その飾り物は床に落ち壊れてしまいました。

追記
その時の写真が見つかりました。
将棋の駒の置物の下敷きになっています
胸の「Detroit」の文字がはっきりと見えます。
IMGP0077-1.jpg


熱き夜破産の街の昔見ゆ




関連記事
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する