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牛タンを食す

仙台宅で他地方からの人を交えての集まりがあった。
席上「仙台に来たのだから『牛タン』を食べたい。」という声が上がった。

もともと「牛タン」は家庭料理ではない。
慌てて近くの小スーパーに駆け込み、
パック入りの牛タンを、売っていた2パック全部を買って供した。

ウィキペディアにあるように
「牛タン焼きの発明から長らくは、
牛タン料理はそれほど市民に人気があるわけではなかった。
もともとが外食から生まれた料理であり、家庭で食べられることは殆どない。
むしろ珍味の扱いで、一部の愛好者や酔客が「締め」に食べる程度だった。」
のだ。

マスターの場合は父が酒を飲んでいたので、早くから知っていた。
父によれば「仙台に牛タン店は3軒だけ。」だったそうである。これは1970年代までの話。
勿論、普通の仙台の観光ガイドブックには牛タン店は掲載されていなかった。
今日、仙台では牛タン店にいつでも観光客の行列ができているのを見るたび
隔世の感がする。

1976年位の夏休みであろうか、なにかの用事で父と夜の東一番丁(繁華街)に出かけた。
夕食を牛タン店で摂った。
一番丁の南端、東北大学の近く(つまりマスターの出身高校の近くでもある。)の
雑居ビルの地下にその店はあった。

客はマスター父子と、カウンターに「お盆の電話番」で出勤していたのか
ヒマそうなサラリーマンが一人というたった3人だけだった。

父と店の主人は知り合いらしくよもやま話をしている。
我々はテーブル席だが、客が3人しかいないので
店の主人は話し相手になっているのである。

サラリーマンは店の主人に頼んで、
同僚のボトルがどれくらい減っているのか眺めていた。

主人はマスターの高校がすぐそばだと知ると
「土曜の昼間も定食を出しています。お客さんは少ないので
放課後にお友達を連れて食べに来てください。」と
高校生に営業をしていた。

当時、マスターの同級生たちの土曜昼の定番は
その店のそばの「ススキノラーメン」だった。

ランチとしても「牛タン定食」は、
当時300円台だったラーメンよりも高いので返答に困った。
今ならば、すまし顔で「今度友達を連れてきます。」
とリップサービスをするのだろうが、
そういう世間の知恵は当時は持ち合わせていなかった。

店名は忘れた。
その後「牛タン」が'80年代にブレイクしたあと
その店の前を通ったら、観光客の行列が
地下から外まで続いていた。

もう高校生に「営業」をしなくてもよくなっただろう。
常連サラリーマンがボトルを置くことはなくなっただろう。
一見さんが行列をなしている店に
ボトルを置いて長尻を決め込むのは呑ん兵衛の流儀に反する。

お盆の夜に3人しかいない老舗牛タン店なんて
「牛タン」目当てに仙台に来る観光客には想像もつかないだろう。

というわけで、仙台出身なのにしかも「昔の牛タン店」を知っているのに
今の牛タンは知らない。仙台の店はどこも行列で入る気がしない。
拙ブログでは今後時々牛タン店の食べ歩きルポを掲載します。
請うご期待。

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コメント


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いいね

そうなんですね。
関東だと、スーパーに牛タンはないよね。
どうしてだろう。

1984 | URL | 2014年03月22日(Sat)20:04 [EDIT]


Re: いいね

1984どの
首都圏でも、スーパーによってはあります。
大概は焼肉屋の「タン塩」パターンですね。
薄切りのもの。
仙台で売っていたのもそうでした。
フライパンで焼いても、牛タン独特の香りがしました。


牛タン屋の調理にも流行があるようで
最近はステーキ風の厚切りが主流のようです。

2000円マスター | URL | 2014年03月23日(Sun)07:30 [EDIT]